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2007/09/12

「現場」と「研究」,「普遍」と「独創」

 単刀直入にお尋ねしますが,「現場」と「研究」は乖離していてはいけない代物なんでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

 「現場」の方々は,「研究」の側が現在見られる公共図書館の「惨状」(指定管理者委託を含めた業務委託や非正規職員の雇用がもたらす業務の非効率と不安定)を側面から支援していると主張しています(ケペル先生のblogにおける公共図書館に関する主張がweb上での好例).しかし,毎日毎日,公共図書館で繰り広げられるルーティンワークも含めた一場面,一場面における事例の積み重ねと言う,刹那的(他の場所での応用が出来るのかどうかもわからない,という意味で)な「現場」が自らを「学問」と称して闊歩したことが,公共図書館業界に『市民の図書館』の正典化をもたらし,『市民の図書館』の正典化が貸出至上主義による図書館司書の疎外という現象を生み出したことの方が,現在の公共図書館における「惨状」を説明するのにより相応しいと,僕のような立ち位置にいる人間には見えるのですね.

 刹那的な現場主義の限界は,公共図書館を語るときのケペル先生のblogにおける惨憺たる内容や,自らが属する組織と主義主張を守らんとするが余りに,「目的は手段を神聖にする」とばかりに公務員として,また公共図書館員としての倫理を踏み外してしまい,結局は公共図書館を公務員が運営することについての疑義を露呈させた,とあるblogに典型的に現れていると僕は見ますが如何.

 「現場」と「研究」における乖離(例えば,現状認識の差異)に,積極的な意義は見出せないものなのでしょうか? あるいは,見出してはいけないものなのでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

 正直に申し上げて,みなさんよく30数年前の既製服で満足していますよね.僕など中学のときから無類の制服嫌いで,お仕着せや出来合いの思考に自らを合わせることなど,今に始まったことでもなく随分前から,すっかりウンザリしております.おかげで,身内からさえ「アマノジャク」と言われる始末ですが,まあそれはともかく,自らを満足させるためにも,「哲学とはカントについて考えることではなく,カントのように考えることだ」とのひそみに倣い,原典(さすがに語学が×なので翻訳頼みではありますが)を寡聞ではありますが読み込んだ上で自分の頭と言葉で考え,綴ることを以って思考を鍛えて生きたいと,改めて思い及んでいます.

 ついでに言えば,自分の頭で考える際には「普遍的であること」と「独創的であること」を両立させるべく,どちらかと言えば前者に軸足を置いてその落とし所を考える必要があるのでしょうが,ついついそこで「独創的であること」に軸足を置いてしまうのが,多々ある失敗の原因のひとつであるところが,我ながら痛いところですね.

 でも,「現場」ではお仕着せの思考に自らを合わせることばかりが重要で,普遍を目指すのが当然で,独創的なことを考え実行するのは禁忌なのでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

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