ショスタコーヴィチ/交響曲第4番
ショスタコーヴィチ/交響曲第4番ハ短調作品43@ヴァレリー・ゲルギエフ/キーロフ管絃楽団(フィリップス:470 842-2)
2001年11月の録音.
まったく,片言隻語をとらまえられて揚げ足を取られるのではたまったものではない(^^;).なるべく「スルー力! スルー力! スルー力!」と三度唱えてやり過ごすことにしたいとは思いますが.
ましてや,この第4番をリハーサルから撤回した1936年当時のショスタコーヴィチ(1906-1975)は,この壮大かつ難解な交響曲が歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」,バレエ「明るい小川」が共産党=国家から批判された後のスターリン体制化のソ連では,「スルー力」どころの話ではなく,文字通り自らの命取りになると踏んだのであろう.レニングラード・フィルで予定されていた初演を振るはずだったフリッツ・シュティードリー(1883-1968)もナチに追われてソ連に来た亡命者であり,ここで騒動に巻き込まれるのを嫌った,という噂もある(シュティードリーはその後1937年にはUSAに出国している.なおシュティードリーはマーラーの薫陶を受けたことのある指揮者でもあり,この作品に低い評価をしていたとは考えられない.むしろ作品が「見えていた」だけに騒動が起きるのは必至と見たのかもしれない).
リハーサルの直前にソ連に入国したオットー・クレンペラーが,ショスタコーヴィチのもとを訪れた際,この作品を気に入って外国での初演権を求めた,と言う話も伝わっているほどモダニスティックでラプソディックでマーラー的なこの交響曲は,結局1962年12月30日にキリル・コンドラシンが初演するまで封印されてしまうのである.
初演から約40年,作曲から約65年の経てのゲルギエフの演奏は,何とも平和なもの.ロシア・アヴァンギャルド最後のあがきにも思える,この作品独特の切迫感があまり感じられない.
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