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2007/08/30

グレツキ/交響曲第3番

グレツキ/交響曲第3番「悲しき歌の交響曲」@デイヴィッド・ジンマン/ロンドン・シンフォニエッタ(エレクトラ・ノンサッチ:7559-79282-2)

 1991年5月の録音.
 とにもかくにも,第2楽章をロンドンのラジオ局が使ったことから人気に火がつき,UKビルボードのヒット・チャートに載ってしまったということで有名になってしまった交響曲である.日本でも,すっかり「癒し系」現代音楽の定番のように思われているフシが無いでもない.

 実のところ「前衛の時代」のポーランドにおいてグレツキが,前衛的な作品を書いていたことはあまり知られていないし,その頃の作品が紹介される機会もそれほど多いとは言えない.それが結果的にペンデレツキのように前衛からの転回を攻撃されることもあまりないが,この作品ばかりがもてはやされてグレツキの全体像が見えにくい原因にもなっているようである.

 1976年の10月から12月にかけて作曲され,翌77年の4月に現代音楽を得意とするエルネスト・ブール指揮の南西ドイツ放送交響楽団が初演した.第1楽章では15世紀ポーランドで「聖十字架の哀歌」として知られた詞を,第2楽章ではゲシュタポの強制収容所の壁に書かれていた18歳の少女(1944年9月26日から収容されていた)の詞を,第3楽章ではオポーレ地方(ポーランド南西部)なまりの民謡がそれぞれ歌詞として用いられている.ルイジ・ノーノのような作曲家が未だ健在であった時代に,この作品が理解されたとは到底思えず,初演から15年以上を経過しての爆発的ヒットは,前衛の崩壊がもたらした,ある種の必然であったのかもしれない.

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