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2007/06/13

ハルトマン/葬送協奏曲

ハルトマン/葬送協奏曲@イザベル・ファウスト&クリストフ・ポッペン/ミュンヘン室内管絃楽団(ECM:465 779-2)

 1999年7月と9月の録音.カール・アマデウス・ハルトマン(1905-1963)がナチス政権下のドイツで国内亡命を強いられていた1939年に作曲された,ヴァイオリン独奏と絃楽オーケストラのための作品.第3楽章に闘争的なアレグロ楽章を置くが,あとの3つの楽章はいずれも緩徐楽章であり,全編が悲痛な表情で一貫している.それはナチスの圧政への抵抗とも言われる.ある解説ではヤン・フスを始祖とするフス派のコラールが引用されているといい,別の解説ではロシア労働者運動の歌である「不滅の犠牲」という曲が引用されているというのだが,それらがどの箇所を指すのか,残念ながら僕にはよくわからない.それでもその苦しみと哀しみに引き裂かれる音楽に,強く共感するのは僕だけではあるまい.
 演奏団体が根拠を置くミュンヘンは,ハルトマンが戦後その本拠地とした街であり,戦後西ドイツにおける現代音楽の一面を代表するところにもなったわけだが,ここは同時にヴァイマール共和国期にナチスを育んだ街である.戦後長らくミュンヘンの歌劇場の復興に尽力したのは,かのハンス・クナッパーツブッシュである.

 この頃は,出来るだけ「図書館」というものから身も心も引くだけ引いてこのblogを更新している.現在の公共図書館の「現場」を論じる気も,現在の大学図書館の「技術」を論じる力も,今の僕には全く無いからね.ましてや新保守主義的な「図書館」像が跋扈し始めている現状を変えるだけの筆力も無い.
 それでも,今日遅まきながら読んだ「出版ニュース」誌掲載の『図書館戦争』を論じた文章の,馬鹿馬鹿しい限りの大はしゃぎぶりにはがっかりさせられたことが,今日この作品をBGMに選んだ理由だと言ったら,その文章の筆者はもとより彼の所属する団体の当事者たちは「またあの馬鹿が」とでも思うのだろうな(^^;).今更当人たちに向かって何事かを言っても無駄だから,ここで嫌味のひとつも言っておく.
 所詮「公共図書館」と「図書館の自由」をモチーフに借用し幻想を展開させただけのライトノベルを,運動系の方々がそこまで持ち上げることへのツケは,今後あなた方自身が払うことになるのだよ.

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コメント

>「図書館戦争」
 
 私は読んでいないので語ることはできませんが、熱狂的なファンがいるらしいですね。まぁ、「応援してくれる人がいるということはうれしい」ということじゃないですか?

>>へのさん

僕は『図書館戦争』,最初の5ページくらいで読むのを諦めたクチです.だって,全くと言っていいほど作品世界に引き込まれなかったのですもの(^^;).当時も今も,小説を読んでいる時間があれば別な分野の本を読みたいですし,苦痛に耐えてまでライトノベルを読もうとは全く思いませんですよ.同じ苦痛なら,カフカの『城』でも読んでいたほうがマシです.そう言えば,長女に読ませるつもりで『審判』の池内紀による新訳を買ったら,娘に「読んでる暇が無い」と言われてしまったので,いま取り掛かっているお勉強の素描が固まったら,そちらも読んでみようかと思っていますわ.

で,個人的には「公共図書館」が「戦争」と結びついたところでアウトです.『図書館戦争』を歓迎しているのが運動系の連中であるところを考えると,連中にはその手の「公共図書館の美学化」への衝動が絶えずあるんでしょうね(^^;).何事も「正しい意味」はひとつである,というスターリニズムへの郷愁みたいなものが.

僕自身は「オールド・リベラリスト」だと自分を捉えているので,最近の若いひとたちに見られる新保守主義的な公共図書館観にも,古臭い運動系の連中による「古き良き左翼」的な公共図書館観にも,最早その考え方についていけないんですよ.だから,むしろ新自由主義的な公共図書館観に期待を寄せているわけです.今のところは.ただ,現在日本で跋扈している新自由主義(≒市場原理主義)はジョン・ロックが『教育論』を書き,アダム・スミスが『道徳感情論』を書いたことなどすっかり忘れてますからね.

さて,「寛容」と「排除」の両極の間で,公共図書館の「概念」そして「社会的立ち位置」さらには「権利と義務」をどのように考えるべきなのか,もう少し考えさせてもらいますよ(^^;).

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