星新一:1001話をつくった人
読み終わって,深いため息とともに涙が溢れるのを抑えることができなかった.綺麗事に終わらない,素晴らしい伝記作品である.
僕自身,一時期星新一の本はよく読んでいる.ファンだったと言っていいと思う.と言っても,そもそもの出会いがショートショートではなく,中学生のとき親父がクリスマスに買って来た単行本『明治の人物誌』というのが,恐らくは他の愛読者と異なるんじゃないだろうか.そのためか,何より大好きだったのは『明治・父・アメリカ』.ボロボロになって綴じも壊れた文庫本『明治・父・アメリカ』も,何かの理由で染みを作ってしまった『明治の人物誌』も,いまだに手元にある.『明治・父・アメリカ』は余りに状態がひどいので買い換えようかと思い,確認してみたら品切れで愕然としたのは,1,2年前のこと.
と言うわけで,星新一の生涯を運命付けたその父,星一についてはまんざら知らないわけでもなかったのだが,『星新一』を読んで,星一のあまりの破天荒さと,その背後にあったと思しき闇の深さに改めて仰天させられる.これは大変な父親を持つ羽目になった一家の栄光と悲惨をひとりで背負い込み,父親とは別の世界で一流になったものの,ついに父親の残した闇から自由になれなかった息子の生涯を追って不足の無い本であろう.とにかく,「驚きの連続」の見本のような本であった.
ちと不満があるとすれば,星新一が『明治の人物誌』で「先生とつけなければ書き続けられない」とその恩義を明らかにしていた花井忠(弁護士で,『明治の人物誌』に登場する花井卓蔵の養嗣子)に関する記述があまり見られないことくらいであろうか.
と言うのも,まさか根岸寛一(映画人.戦前は日活で活躍し,戦中は満映,戦後は東映の基礎を築いた)の名前が『星新一』に出て来るとは思わなかったという,こちらの勝手な入れ込みがあるものだから.しかも,星新一は健康が悪化して自由が丘に引き籠った根岸のところをたびたび訪れ,何かと相談相手になってもらっていたというのだから驚いた.それにしては,恩義を公言していた花井忠の影が薄いのが不思議である.
それにしても,星一もまた満洲につながりのある人間だったとは知らなんだ.二反長半の『戦争と日本阿片史』という本(ほとんど絶筆だったらしい)のことも知らなかった.星一の海外での事業については,ノンフィクション作家の上野英信が『人民は弱し官吏は強し』の内容について星新一に詰問状を送ったけど返事が来なかった,という逸話を「未来」だったかどこかの新聞だったかで読んだ記憶はあるけど.この上野の件は『星新一』には出て来ない.上野が出した詰問状は本人の手元に届いたのか,届かなかったのか,届いても破棄されてしまったのか,いささか興味があるところなのだが.
この書評,星一がらみのことばかり書いているな(^^;).もちろん,日本SF史を学びたいひとには必読の文献だけれども,星新一の晩年が功なり名遂げた人のそれとは,とても思えない精神状況だったことも包み隠さず書かれていることが,この本の価値を更に高めていると思われるのは,何とも言えない気持である.
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コメント
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本題から外れて申し訳ないですが、子供の頃「二反長半」が、どうしても人名に思えなかったという記憶があります。最初はどこまでが姓でどこからが名前かもわからなかったです。
投稿: への | 2007/06/18 12:30
>>へのさん
子供のとき既に「二反長半」ご存知だったんですか? 僕は名前も業績もつい最近まで知らなかったんですよ,この方.当人の本は未だに読んだこともないと言う(^^;).児童文学者として割りに著名な方のようなのですが,実は佐藤卓巳の『言論統制』(中公新書)がお名前の初見でした.で,星新一(と言うより星一)絡みで見つけてまたもや吃驚,という.
投稿: G.C.W. | 2007/06/18 22:08
>子供のとき既に「二反長半」ご存知だったんですか?
何の物語だったかは忘れましたが、家にあった児童文学の本で知りました。子供向けなので著者名にもフリガナがありましたが、「にたんおさなかば」とベタで打たれていたと思います。「にたんおさ・なかば」なのか「にたん・おさなかば」なのか、いずれにしても変な名前!ということで印象に残りました。
投稿: への | 2007/06/19 12:18