ホントはペンディングになっている森有礼の続きをやらなくちゃいけないし,今日の分はきちんとした調べ方はしていないので,以下のハナシは大嘘かもしれませんので取り扱いにはご注意.
先日某所で紹介した(クローズなところなのでリンクしません)下記の文献.
竹林熊彦 明治時代図書館ノ種々相(5) 「図書館研究」12巻3号 333-340(1939年10月)
は,どうやら年代順には掲載されていない(著者が書き上げたところから掲載した?)ようで,(5)に至るまで同誌に掲載されたのは,
3. 東山文庫ニ就イテ(11巻3号)
5. 阿波國文庫ニ就イテ(11巻4号)
8. 長尾文庫ニ就イテ(12巻1号)
9. 足利學校ニ就イテ(12巻2号)
10.南葵文庫ニ就イテ(本号)
と論文冒頭に掲載されている目次にある.この論文全体が完成しているのかどうか,今のところ確認出来ていない.「図書館研究」が16巻1号(1943年)で終わっているので,そのうち何処かで「図書館研究」もしくはその総目次を確認して来なければ,と思ってはいるのだけど.
実は上に挙げていない(南葵文庫の回が掲載されてた時点で当誌未掲載)の分に
1.神田男爵トDewey
というのがあって,実はこれが少々気になっているところ(^^;).
「Dewey」は当然Melvil Dewey(1851-1931)なんだろうとして,「神田男爵」っていったい誰? 明治期の「神田」姓の人物で思い当たるのは洋学者,官僚で貴族院議員も務めた神田孝平(1830-1898,死に際して男爵)だけど,彼には海外留学などの経験は無いようで,どうやらここに出て来る「神田男爵」は孝平の養嗣子の神田乃武(ないぶ,1857-1923)であるらしい.このひとは東京帝大教授から東京外語学校の初代校長を務めたひとだそうだが,若い頃に留学経験もあるしワシントン軍縮会議(1921)の随行員でもあったので,Melvil Deweyとの接点も何処かにありそうな感じである.でも神田乃武の名前は,日本の図書館史系の本で見た記憶が無いのね.去年だったか翻訳が出たMelvil Deweyの伝記には,何かこのあたりのことが載っているのかな? もう少し暇になったら,少し調べてみてもいいかもしれない.
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