やっぱりわからない
katz3さんのコメントを読みましたが,やっぱりよくわかりません.katz3さんの言う「基本」「信頼できそうなリソース」の内容が明示されないので,こちらはいわゆる「隔靴掻痒」というヤツです.リソースが明示されないまま「おっしゃるような定義はどこ調べても出てこない」と言われても,こちらも困ってしまうわけで.何だか,日図研の関係者がよくやる,ソースを明示せずに「『××と論じる輩』がいるが,こいつはアホだ」という非難の論法を思い出します.
相手が手の内を明かさないのにこちらが明かすのは「お人好し」と言われそうですが,取り敢えず,僕が民主制を考えるときに依拠しているのはアイザイア・バーリンの考え方であることを明らかにしておきます(ハイエクもかじってみましたが,今のところ歯がたちません).もっとも,それはバーリンの言葉を一言一句聖書のように復唱していることを意味しません(僕は文献学者でもなければ,ブルックナーの楽譜を校訂しているわけでもないので).バーリンの書くところを僕なりの理解でまとめているものですから,僕による理解にはバイアスがかかっていることはあるのでしょう.
で,僕のバーリン理解に欠陥があるようなら,それについてはよろこんでご指摘をいただくことにします.しかし,そこに問題があるわけではないのであれば(あくまでも教科書的な「定義」の問題であるならば),これ以上議論しても噛み合うことは無いと思います.お騒がせしました.
追記:
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20070330/1175238633#c1175269307
なーんだ,katz3さんから見たらどれもこれも「俺定義」,だからいけないのか(^^;).つまり,異なる価値観なり意見なりが並存する状態に意義を見出さない,ある権威以外には価値を認めず権威に盲従しようというわけだね.それじゃ意見と意見の差異を確認し妥協点を見出すための「対話」なんか最初から成り立つはずはないな.上で日図研を想起したのもあながち間違ってなかったようね.そりゃ「俺定義」にもいろいろあって,「聖徳太子は夢殿に会ったタイムマシンで過去と未来を自由に行き来できたヒト」みたいな荒唐無稽なものだったら問題だし,対話も出来ないだろうけど,そこまで無茶苦茶な理解を「民主制」にしているつもりは,こちらには無いぞ.それほど僕も無学じゃない.結局,他者との対話を成立させる気が無いから,全体主義下でも共産主義下でも公共図書館は成長できる,みたいな言説も肯定されちゃうわけなんだろうな.僕は頭が古いのか,そういう発想は肯定出来ないし理解も出来ないので,「戦後民主主義」の虚妄に賭けることにしましょうか(^^;).
この程度の言説にわざわざ時間を割いて損しちゃいました.本読もう,本.
追記の追記:
しかし,本当は図書館側としてこの議論に参加するべきは僕ではなく,例えばケペル先生や図書館屋の雑記帳だと思うんだけどなあ(^^;).あのひとたちは議論が終わった後を大礼服着て闊歩するひとたちの仲間なんでしょうか?
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