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2007/03/31

議論の方法

 katz3さんからキツーイ一発を頂戴しました( -_-)=○()゜O゜).曲解を指摘された箇所は,というか前回の追記そのものが筆が滑りすぎました.ゴメンなさい(「追記の追記」はまた別).

 さて,つまり,議論はこーゆうところから始めればいいんですかね(^^;).


「民主制とは民衆による統治である.あらゆる現代民主制において民衆は自分たちの利益に資する決定を行うために議会,執政府,委員会,裁判官,および判事を選出し指名する.これらの選出と指名が民衆の主権を統治における委任に法的な根拠を与える.
制度はこれらのあり方を規定する.憲法,法令,行政規則と手続,判決,規範,実践,慣習はこれらの委任を定義し,民主制における本人と代理人の誘因を形成する.
しかし,民主制における委任が成功するには,制度が民主制における代理人の誘因を規定するだけでは不十分である.むしろ,制度は代理人や語り手を信頼できるものにすることが必要であり,さらにこの効果が制度によって与えられているものと民主制における本人が認知することも必要である.
(以下略)

「現代民主制を改善するためのもう1つの,そしてより一般的なアイディアは普通の市民が政治問題について慎重に討議することの奨励である.この提案の背後にある考え方は熟慮して討議する市民がお互いを啓蒙し,政治的意思決定を大きく改善するだろうというものである.説得と啓蒙が同じものであったら,熟議の感興が実際に複雑性に伴う問題に対する理想的な解決策であろう.残念なことに両者は同一ではない.
集団内の最も説得的な人々が知識を持っていないか,それとも最も説得的(そして/あるいは知識を持っている)な人々があまり知識を持たない人々を誤解させる誘因を持っている時,熟議は啓蒙とは異なる.単に熟議の環境を構築するだけでは,集合的な知識の質が向上し,集団間に公平に流布することを保障しないのである.これは熟議が有益たりえないというのではなく,啓蒙の条件を生み出す環境において熟議が起これば,それははるかに有益なものとなる見込みがあるということなのである.」

『民主制のディレンマ』(木鐸社)p227,p251


 自分で文章を考えている暇が無いのと,誤解があるといけないので,手元にある好みの本から今回の話に使うのによさげな箇所を引用元を明示した上で長々と引き写しました.この本,心理学的な分析が展開される箇所は理解の外ですが,上記引用の後半部分に関する限り,個人的には僕が書いた「民主制とは対話と選択を軸にした制度であり,ある問題を解決する方策が他の問題を解決する策と両立するかしないか,それを近代市民が考え,対話と選択に必要な知識を得るために公共図書館を利用する」と,それほど距離があるようには思えないんですけど(-_-;).で,図書館業界関係者の文章からはこの引用の前半部分のような定義は読み取ることが出来ない,という話ということでよろしいでしょうか?
 他のひとは知りませんが,僕に関する限り,引用の前半部分はいちいち他者に説明するまでも無いことだと思われたのですが.修士論文を書くのであれば,そこから自分の言葉で説き起こす必要があるでしょうが,blogのエントリーを,すべていちいち語の定義から立ち上げなくちゃいけませんか? あ,katz3さんはそこからやれ,労を厭うな,と言っていたのでしたね.
 僕はblogについては,「過去のエントリもぜーんぶ読んでよーく意図を汲み取ってからでないと意見しちゃダメ!ってスタンス」なんですよ,実は.全部,とは言いませんが(当blogは図書館や音楽や野球や様々な主題を扱ってますので,図書館の話題を取り上げるときに野球に関するエントリーを読むことまでは要求しません),せめて今現在問題になっている,目の前のエントリーの裏にどれだけのエントリーが積みあがっているのか,くらいは調べて欲しいと思いますよ.それってkatz3さん言うところの「まったく情報検索を面倒がるなんて、図書館員としてイケナイゾ!」とあまり変わらない要求だと思うんですけど(^^;).

 なお「「図書館が」って書いたのを「公共図書館」に自動翻訳してません?」ですが,今次の議論は民主制が問題になっていたと考えてましたので,ここで扱われている「図書館」は「公共図書館」であると判断しました.で,katz3さんが地の文で館種の書き分けをしているかどうかまでは存じませんでしたし,僕の方は図書館を館種ごとに書き分ける習慣を持ってますので,「公共図書館」と書き分けた,それだけです.

 以下は言い訳がましい横レスで個人的なことなので読まなくてもよいです.

 僕は教科書を教科書の通りに読むのが小学生の頃から好きじゃなかったですよ(^^;).授業中も数学の教科書の影で別な文庫本を読んだり,国語の教科書では現在やっている教材と違う箇所を読んでいたり.今でも,教科書的なまとめ本を読むのは苦手なんです(そーゆう意味で取説すら読むのが苦痛).退屈で仕方が無いという.むしろ個別事例を単独で扱った本を読む方が好きですね.以前,僕の本棚を見たある友人が「アプリケーション系の本がほとんど無い」と驚いていたことがありましたが,例えば図書館を考える上で「自由」を再考するのでも,時間が無いのであまりに古典なところまでは遡りませんが,例えばバーリンの『自由論』(みすず書房)や遠藤比呂通『自由とは何か』(日本評論社),ジョン・グレイ『自由主義』(昭和堂),藤原保信『自由主義の再検討』(岩波書店)のようなタイプの本に手を出します(読み通せるかどうかは取り敢えず脇に置いて(^^;)).だから無暗と蔵書が増える.

 今回のような主題だと教科書っぽい本では『政治機構論講義』『行政学教科書』(いずれも有斐閣)を持っているけど,あんまり面白くないので読み通したこと無かったです.上で引いた『民主制のディレンマ』あるいはオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(筑摩書房)を読む方がラクでした.
 世の中,たまにはこーゆう人間もいるということで.

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