ベートーヴェン/交響曲第9番
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@ハンス・クナッパーツブッシュ/ベルリン・フィル
もう一丁,YouTubeから.1942年か1943年4月の収録という,ハンス・クナッパーツブッシュ/BPOによる「第9」です.恐らくはフルトヴェングラーの映像同様,1943年4月のヒトラーの誕生祝賀演奏会を収録したものかと.
これも承前のフルトヴェングラー同様,終楽章の最後4分ほどですが,指揮する姿からしてフルトヴェングラーとクナッパーツブッシュでは全く違うことがわかるかと(^^;).当時未だ50代半ばで覇気満々のクナッパーツブッシュ(1888-1965)は,巷間伝えられる逸話によるイメージとはおよそ異なる精力的な指揮を展開しているように見えます.クナは見かけも得意にした演目もナチに贔屓される材料が揃っていたにも拘らず,当人が束縛を嫌う天邪鬼な性格だったためもあってか,ナチの流儀とはソリが合わなかったようでヒトラーからも「軍楽隊長め!」と嫌われていたということです.
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コメント
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クナッパーツブッシュ氏の指揮は初めて聴きました。ほんとうに同じ楽曲で同じオケでも印象が違うのですね。
好き嫌いの好みは別として、クナッパーツブッシュ氏は拍が長めなせいか、コーダの直前ではソリスト(とくにバリトン)が辛そうで (^^; そういう面でも楽しめました。
1942-43年というと、東部戦線で敗色が濃厚となった時期にあたる(付け焼刃な知識)ようで、フルトヴェングラー氏のフィルムと併せ観ると、一瞬映る傷病士官、民衆の1年後2年後はどんなであったろうか、と思いをはせます。
ナチスの絶対(悪)的存在とシラーの詩の間にある、人間の業と無情を、しみじみ感じたのでした。
投稿: ひらりん | 2007/02/21 23:54
>>ひらりん
ちなみにフルトヴェングラーの得意な演出はアッチェレランド(クレッシェンドしながらテンポを上げる),クナッパーツブッシュの得意はアラルガンド(クレッシェンドしながらテンポを落とす)でした.頂点の作り方が正反対であったのですね.それが同じようにふたりとも好んで取り上げたブルックナーで,この違いが一部の聴き手に「フルトヴェングラーのブルックナーはダメ」と評される原因になっているのでしょう.
ナチの領袖にも音楽愛好者が大勢いて,彼らもまたベートーヴェンやモーツァルトを愛していたことを知ると,その蛮行との落差にしばし言葉を失います.アドルノが「アウシュヴィッツ以後,詩を書くことは野蛮である」と言ってますが,さて音楽は,と考えるとこれは難しい問題です.
投稿: G.C.W. | 2007/02/23 22:05