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2007/01/17

近頃,公共図書館について発言されているブロガー,ブックマーカーの皆さんに感謝を(加筆訂正版)

 昨日,メンテナンス中のため分館の方へUPした記事をこちらにも掲載します.一部,文章に訂正・補記を加えていますが,文意に大きな変化は無いと思います.

 今回,昨年末の「図書館民営化」論争から始まり現在に至るまで続く,公共図書館をめぐる議論に僕も及ばずながら顔を出しましたが,ご発言されているブロガーやブックマーカーの皆さんには,心の底から感謝してます.これほど図書館業界の外側に軸足を置く視点が活発に提示され,議論の内容が深められているのは,これまで僕が参加してきた公共図書館をめぐる議論では,ほとんど初めてではないかと(^^;).僕も既に20年近い図書館業界でのキャリアを持ち,またパソコン通信を自宅に導入してからでも10年以上の経験があり,図書館をめぐる議論もあれこれ経験してきましたが,これまでの議論は参加者にしても議論の幅にしても,どうしても業界内の域を出ず,幾つかの意味で業界の主流から外れた視点*1で公共図書館を考えてきた僕は,随分ともどかしい思いをしてきました.

 それが今回,業界人のコントロールの効かないところでの議論*2の内容と方向の多様性に,改めてこれまでの業界内での議論が狭い土俵と了見の上に成り立っていたことを省み,少々恥ずかしい思いをしております*3.もちろん,これまで業界内で(あるいは「図書館系blog」との間で)積み重ねてきた議論がまるで無駄だったはずも無く,それはそれで公共図書館を考える上で豊かな実りをもたらしてきましたが,昨年業界外からも注目を浴び称賛された矢祭もったいない図書館をめぐる業界内主流派の議論が閉塞状況に陥っている現状*4を鑑みるに,ある種の限界が来ているのではないかと思わされることがあります.

 たまたま先日,僕の手元に届いた「図書館界」58巻5号(2007年1月)に例の*5「誌上討論 現在社会において公立図書館の果たすべき役割は何か」の第4回が掲載されていました.雑誌編集部が最初に提示した「お題」の筋の悪さから,この議論は実りの無いものになるだろうなと思っていましたが,今回もまさに予想通りorz 今号掲載の4本の文章のうち,最初の2本は『市民の図書館』と前川恒雄への信仰告白の域を得ず*6,公共図書館をめぐる議論に資するものは何も得られなかったのです*7が,討論の最後に掲載されていた齋藤明彦氏(元・鳥取県立図書館長)の文章の,それも最終節(今号276-277頁)に至って,その深刻な指摘に慄然としました.文章が軽いユーモア交じりに務めて明るく書かれているため,その事態の深刻さが業界人の中にはわからない方もいらっしゃるかもしれませんが,齋藤氏が指摘していることは業界にとって非常に重大な事態です.


「実際に図書館に携わっている者には,もう議論している時間はないと思います」(277頁)
このように指摘されても仕方の無い井の中の蛙が繰り広げているような,図書館業界内の議論が閉塞状況に陥っている現状があるからこそ,webにおける現在の議論には大変な価値があると僕は受け止めています.多様な視点を提示していただいているブロガーやブックマーカーの方々に,重ねて感謝する次第です.


*1:主流派である公共図書館関係者に対して大学図書館に籍を置くこと,貸出至上主義(消費財としての本,フロー重視)に対して調査・相談機能重視(資料としての本,ストック重視)であること,『市民の図書館』に対して『中小レポート』と「これからの図書館像」支持者であること,図書館原理主義に対して相対主義を採ること,関西学派に対して関東の大学出身であること,大都市圏の図書館に対して地方の図書館であること,等々

*2:あとで触れる「図書館界」での議論のように,業界人が議事進行をコントロールする議論はかなりの確率で隘路に陥るか,もしくは結論が最初から準備されているかのどちらかになる.

*3:この業界人の了見の狭さと言うのは実に陰湿で,議論に勝てないと見るや公務員倫理も図書館員倫理も何処へやら,論争相手のプライヴァシーをネットに暴露するくらいのことは平気でやります.自らの側に「正義」があるから「目的は手段を神聖にする」とお考えのようです.

*4:こちらのコメント欄参照

*5:僕が以前,手厳しく批判した記事はこちらから

*6:ある書き手が文中で「これまでの図書館像」が持ち出している佳例を批判するのはよいとしても,別の例を持ち出して賞賛するにもその根拠が示されていなかったり,ある例に対するヒステリックな攻撃でしかない文章を「実証的」と評したりするのは如何なものか.正直,その書き手に対する信頼が僕の中で下落したことを告白する

*7:そもそも今回編集部が新たに出した「お題」を無視して書かざるを得ないほど,『市民の図書館』をめぐる状況は悪化していると言うことか

 うーん,はてなで書いた脚注をそのまま持ってきたので,リンクが切れたorz

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コメント

うーん、かならずしももう彼等が主流ではないかも、と図書館総合展に遊びに(わちきは安彦氏を見に)行ったときに思いましたですよ。GCWさんに合いそうな雰囲気でしたわい。公共の話題は以後、よい指定管理者、わるい指定管理者、の弁別とか、浦安みたいな直営優良館のよさをどのように発展させていくかとか、そんな話になっていくのではないでしょか。
いまふりかえってみれば、1995年ごろ薬袋先生が文字通りの檄(『公立図書館司書の自己改革のための10か条』とか)をとばしてたころはまだ、なんとかなったのかしら、なんて思いたい気もしますが。
まあ、もはや10年以上まえですね。歴史です(*゜-゜)
もちろん指定管理者のもとで働くスタッフの給料が低いとか、そういった問題もありますが、労働運動と専門職種の話をごっちゃにした結果、元も子もなくしたというのが、薬袋『図書館運動は…』の説だったわけです。もちろん、わちきはなにも薬袋先生マンセーといってるわけじゃなくて、反対説派(大沢正雄氏など)が全然具体的な反論をしてくれないのは困るなぁと。

>>書物奉行さん

いや,でも相変わらずあちらは自分たちが主流派だと思っているみたいで,こんな無責任なモノ↓を書いているヒトもいます(^^;).

http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9bfa.html

もう何だか恥ずかしいやら情けないやら,はてブには「失望を通り越して怒りさえ覚える」と書きましたが,今や怒りさえも通り越してしまい,これでは税金を投入する公共図書館が不用だと思われるのも無理は無いと思い始めています.
正直,これほど他者に対する寛容が欠けている人材が,どうやって公共図書館という多様性のるつぼで仕事をしているのか,不思議です.パターナリズムが彼を支えているのでしょうか?

この記事へのコメントは終了しました。

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