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2007/01/13

「読書」は個人のもの

 こちらも昨日のエントリーの続き,というか蛇足のようなもの.

 僕が考える公共図書館の存在意義は以前,【愚智提衡而立治之至也: 公共図書館が保障するもの】にて明らかにしています.ここでも「読書」や「教育」や「福祉」よりは,民主制の維持に重きを置いて公共図書館の存在意義を説明していますね(^^;).僕は公共図書館が教育や福祉の一端を担うのは,あくまでもその存在意義からもたらされた結果のひとつに過ぎない,と定義しているので,まあそういうことになるのですが.

 で,これは公共図書館の存在意義として「読書」の効能を主張する向きがありますが,官≒政治の側から「読書」を云々されることには,違和感がぬぐえないのですよ僕は(公共図書館に勤務する方々の自己規定がどうあれ,公務員として公共図書館に勤務されている方々は公務員=官には違いありますまい).個人文庫の活動方針ならまだしも,公共図書館が読書について「人格の涵養」云々と言い出すのは『市民の図書館』擁護どころか,思想善導に勤しんだ戦前への回帰じゃないですか(^^;).

 「読書」はやっぱり,あくまで個々人の範疇で考えられ,止められるべきもので,それを「公共性」の支柱にしようというのは少々危険な匂いがしますが如何?

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» [図書館][教育]あらまほしき図書館の理想と現実 [本質追求本部]
前回、価値財として図書館の再定義が必要だと書いたつづきです。公共図書館の役割、新たな役割とその可能性、それを阻む現実、背景についてざっとまとめてみたいと思います。(図書館がどれくらい必要かという量的な問題は考えません) 図書館の目的は図書館法第1条によると... [続きを読む]

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