「図書館と出版不況」
昨日のエントリーが,「図書館と出版不況」の話についてはどうにも中途半端なので,もう少し続けますよ.
図書館(今回は公共も大学も含めての話なので「図書館」とします)と,【書評サイト Loud Minority: 図書館の中の人は出版不況怖くないんですか?】で問題提起されている「出版不況」との関係ですが,やはり図書館業界の多数派を形成している方々には,出版不況に対する懸念とか波及効果への恐れとかは,稀薄だと思います.以前,浦安市立図書館が「特定中小出版社出版物の徹底収集」を打ち出したときに現れた囂々たる(的外れな)非難を思い起こせば,そのように想定できます(^^;).出版流通が立ち行かなくなれば,もっとも被害を蒙る立場にあるのは図書館業界のはずですが.本が買えないんだから.
僕は,図書館の機能の中に出版流通に対する,ある種の「メセナ」的な要素を含めるべき,という考え方を以前から持っていますが,この考え方は図書館業界でウケたためしが無いのですねえ(^^;).図書館運営に関して経済効率重視でフローの効果をより求めている方々は,図書館の持つストック機能を何だと思っているのやらorz.
例えば,これは本の話では無いので例として,ここで持ち出すにはいささか不適当の謗りを免れませんですが,個人的に,本よりも音楽の方が話をしやすいので持ち出しますと,USAでUSA出身者による現代音楽(クラシック畑の)の録音が各社によって盛んに行われるのは,それをアーカイヴ/ライブラリーとしてUSA各地の図書館がお買い上げになるからだ,ということを聞いたことがあります.図書館によるこのような購入は,現在においては情報の公開と流通(クラシック畑の現代音楽の聴衆/マーケットは限られてますから)を促進するとともに,未来においては過去の記録のストックとして大切な資料となりうるわけです.その価値はその資料を必要とするひとが決めるもので,図書館側が決めるものではありません.何より,それを揃えておけば,あるときそれを必要なひとが現れたときにサッと取り出せることに,図書館としての最大の意義を見出すのが筋です.
翻って,NAXOSが継続して出している「日本作曲家撰輯」というシリーズを,どれだけの図書館が継続して購入しているんでしょうか? 先日投げかけられた「新自由主義」の本場はUSAだと仄聞しておりますが,「新自由主義」とやらの下で経済効率と市場を優先しているはずのUSAで行われているらしいメセナ的な視点での公共図書館政策が,護送船団方式の本家であるらしい彼の国で,ナショナリズムも勃興しているはずなのに実現しないこの不思議(^^;).『市民の図書館』や『本をどう選ぶか』を奉ずる視点では理解できない経営政策でしょうけれども.
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