民主制は異なる価値観による対話の継続では?
何やら議論の深化では無く,あくまでも勝ち負けにこだわっているヒトがいらっしゃるようですが(^^;).
かの「正義派」「俗論派」ってラベリングは,勝者が敗者を「俗論派」と呼んだだけのことです.それが明治維新における勝者の史観(有態な話,奇兵隊生き残りだった山県有朋の史観と同一と思われる)だったが故に,未だにこの手の勧善懲悪型の素朴な史観が横行しているに過ぎません.表面をなでただけの粗雑な史観による「分析」らしき代物が,現在の複雑な社会状況において有効だとも思えませんが,中には「俗論派」という,それこそ俗耳に入り易いラベリングを,議論の相手を貶めるのに有効な手段として活用されている向きもあるようですね.
俗耳に入り易いラベリングがプロパガンダやデマゴーグの常套手段であることは言を待ちません.10年ほど前の,日本の政界における「改革派」「守旧派」という俗耳に入り易く一定の支持も得たラベリングが,結局は小泉政権の「改革」を招いて社会を崩壊に導いたことなど,このお方はお忘れではないと思われるのですが・・・・・・.
なお,過去には議論時に修正主義における偽善と欺瞞を指摘したら逆ギレして,公務員の倫理も図書館員の倫理も省みずに,他者の個人情報を恣意的に公開するというモラル・ハラスメントな行為により,対話を拒絶して議論に勝ちを収めたつもりになったらしい公務員公共図書館員も存在することを思い起こすと,議論におけるこの方の毅然とした姿勢にはある種の敬意を払いますよ,僕は.
ただそこに,もう少し異なる価値観に対して対話する姿勢も,ときには必要なのではないかと愚考する次第です.公共図書館は「民主主義の学校」と称される施設であるわけですし,対話は「民主制」の原点だと思いますので.
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