日常(2006年9月30日)
お仕事の日.学園行事とやらで休日出勤.大先生の上を行く米寿の大大先生が突如出現,一同仰天する(^^;).
【学校法人秋田経済法科大学 茶髪・ピアス報道について】やれやれ(sigh).どのような言葉で糊塗しようが,これはファシズム.「パーマネントは止めましょう!」と何処が違うと言うのか.
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お仕事の日.学園行事とやらで休日出勤.大先生の上を行く米寿の大大先生が突如出現,一同仰天する(^^;).
【学校法人秋田経済法科大学 茶髪・ピアス報道について】やれやれ(sigh).どのような言葉で糊塗しようが,これはファシズム.「パーマネントは止めましょう!」と何処が違うと言うのか.
マーラー/交響曲第6番イ短調(ツェムリンスキーによるピアノ連弾編曲)@シルヴィア・ツェンカー&エヴェリンデ・トレンクナー(MD+G:L3400)
マーラーの交響曲第6番をアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーがピアノ連弾に編曲した版の録音.6番は音楽の骨格がしっかりしているので,オーケストレーションの化粧を削ぎ落としても音楽として聴くに堪える編曲である.もちろん,マッシヴな力感やスケール感が無くなるのは止むを得ないが.
ショスタコーヴィチ/交響曲第8番ハ短調作品65@ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管絃楽団(シャンドス:CHAN8757)
先日,朝のNHK総合「おはよう日本」にウラディミール・アシュケナージが出て来てショスタコーヴィチの交響曲第10番について語っていた.アシュケナージは10番を「傑作」と述べていたけど僕には,10番はこの8番の焼き直しに聴こえる瞬間が時々ある.8番の音楽が持つ高い緊張度,真実味に比較すると,同じような構造やメロディ,リズムを駆使している10番は,実はそのパロディなんじゃないかと思うこともある.ショスタコーヴィチの作品群はいろいろと謎の多い音楽ばかりなので,ついつい深読みしてしまいたくなるのだが,ホントのところはどうなんだろうな.
ヤルヴィの指揮はいつもながらの,ざっくり作品を大づかみにしてのち細かいところを仕上げていくやり方.
毎日新聞【矢祭町の図書館建設:寄贈本、20万冊突破 /福島】
さすがに驚きを禁じえません(^^;).冊数もさることながら,未だに寄贈書が届き,問い合わせが毎日あることに,です.しつこいようですが,この「反図問研的公共図書館」に,これだけの支持が集まったことを『市民の図書館』信者はどう捉えているのでしょうね.まさか寄贈書を送ったひとたちに「底の浅いものを感じる」などと言い出したりはしないでしょうが,それに近いニュアンスのことは共同通信社の配信記事にて図問研の関係者が述べていました(こちらを参照のこと)ね.脊髄反射で矢祭町の方針をとやかく言う前に,矢祭町の方針に支持が集まったことを考えなくちゃ,公共図書館業界に先は無いのでは?
この記事で気になったのは,取って付けたようにも思える最後の一文.
ここについて,もう少し掘り下げて欲しかったのは僕だけですか>>毎日新聞さま.
一方、図書館開館後の運営方法などについても検討が始まっている。
ちなみに「反図問研的公共図書館」という言い回しは,ドミトリー・ショスタコーヴィチの不思議な作品「反形式主義的ラヨーク」というタイトルのパロディですが何か.
お仕事の日.
読売新聞【学生の茶髪とピアス、やめれば現金1万・続ければ懲戒】今日の大爆笑ネタ(^^;).情報から遮断された地域にある全寮制の私立男子中学校じゃあるまいし.このような規則に嬉々として従うような輩には,大学生になるための何かが欠けているし,このような規則を大学生に適用しようとしている大学には,大学としての何かが欠けているのでしょう.要するにこれは「大学の美学化」ですね.
日刊スポーツ【日本ハム、横山らを戦力外】【横浜は田中一ら4選手に戦力外通告】もう,そういう季節になったんですね(sigh).それにしてもベイスターズの戦力外は酷い.森大輔なんざ,まだ3年前の自由獲得枠でしょうに,スカウトは一体何を見ていたんだか.
ZAKZAK【安倍新閣僚はそれ相応…鈴木宗男氏がズバリ評価】曰く
いや,さすがの洞察力.この洞察力があって,鈴木宗男という政治家が力を持ちえたんでしょうね.
「排除の論理は基礎体力のない証拠。本当に力があれば反対した人も取り込む姿、形が望ましいし、それが強い証」
山形新聞【実名・匿名どう判断-山形でマスコミ倫理懇】
以前「新聞研究」を自費で購読していた僕は,古臭い陰謀史観をとるのならともかく,報道の自由であるとか報道の倫理であるとか,図書館業界はもう少し注意を払う必要があります,と随分前から折を見てつぶやいてきたのですが賛同者も無く,影響力は0だったようです(-o-)/
僕のことはともかくも,今次の「マスコミ倫理懇談会全国大会」では,かの徳山高専女子学生殺人事件が取り上げられていることくらいは,図書館業界も押さえておきましょうや.
以下2006年10月1日追記.
まあ,恫喝に屈する義務は感じていません(^^;)ので,話題にしますよ.
「みんなの図書館」2006年10月号(通巻354号)は特集「地域に役立つ図書館政策とは」.特集は鳥取,新居浜,萩,若宮における活動に関する4つの論考が収められていますが,それぞれ充実した内容です.また,連載記事もそれぞれ考えさせる内容を含んでいます.これだけなら,なかなか出色の編集だと思ったのですが・・・・・・.
問題は某同人誌からの転載だという「つくられた「現実」,虚像としての民営化」(田井郁久雄)なる文章.内容も酷いもの(議論ではなく願望もしくは呪詛でしょう,これは)ですが,そもそも転載に至った経緯が明記されていないところに,編集部(今回は関西編集部の編集号)の甘さを感じるわけです.過去に伊藤昭治が浦安市立図書館を批判した文章が転載されたときでも,確か転載に至った経緯が何らかの形でわかるように同じ号の中に記載されていたと記憶しています.今回の,広く業界を超えて訴える内容の特集を組める,同じ編集部がやったこととも思えませんが.
特集に掲載されたある記事を否定しかねない論述さえある,この文章をこの号の真ん中に載せる必要が果たしてあったのかどうか,少々疑問無しとしません.某同人誌が多くのひとの目に触れるような性質のものではないようなので,広くこの文章を世に知らしめたい,ということだったのでしょうが,ちょっと編集に一貫性が欠けているような気がしました.
なお,田井氏の文章では山中湖情報創造館が激烈に非難されていますので,山中湖情報創造館は田井氏に対する反論を「みんなの図書館」誌上に掲載してもらえる権利があると思いますよ(参考:『ニュースキャスター』田草川弘著).ご検討ください.
お仕事の日.
河北新報【NPOが手作り図書館 寄贈本活用し開設 栗原・瀬峰】以前にも河北新報で取り上げられていた記憶のある,瀬峰駅の文庫を運営するNPOの話.高慢ちきなパターナリズムと安っぽい正義派気取りに支えられた幼児的全能感からすれば取るに足らない,ささやかな試みかもしれないが,「草莽」というのは本来このような活動を指す言葉なんだろうと思うところです.
神戸新聞【「振る舞い酒」自粛 酒造り控え安全祈願祭 丹波杜氏組合】これはちょっと過剰反応の気味があるんじゃないかしら?
神戸新聞【バリアフリー対応の新型車両 JR西日本521系公開】JR西日本と言うだけで,色眼鏡で見てしまうのはいけないこととは思いつつも,安全に手落ちは無いでしょうねと尋ねたくなるのが人情(sigh).
表紙の粘土細工がカワイイ(^^;).
内容は名所旧跡や食事・スイーツなど,いわゆる「鉄」よりは「旅」の方向きですが,「鉄」にも配慮して(?)「都電遺跡&懐かし写真館」というページもあります.値段も手ごろですので,これから荒川線探検に出かけたい方にはお薦めです.
J.S.バッハ/フーガの技法BWV1080@新デンマーク・サクソフォン四重奏団(コントラプンクト:32259)
バッハ最後の大作「フーガの技法」BWV1080は楽譜に楽器の指定が無いためか,いろいろな編曲による演奏が行われている.この録音はソプラノ・アルト・テナー・バリトンのサックス四重奏のための編曲版.「サックスはバッハより後に開発された楽器じゃん」などと無粋なことは言わないこと(^^;).
スクリャービン/交響曲第3番作品43「神聖な詩」@ジュゼッペ・シノーポリ/ニューヨーク・フィルハーモニック(DG:F00G-20397)
これも異形の交響曲.連続して演奏される「闘争」「悦楽」「神聖な戯れ」と題された3つの楽章からなるが,楽章の形式は聴いただけではさっぱりわからない,その程度の弱い拘束力しか持ち合わせず,単一楽章の巨大な交響詩と説明されても納得してしまいそうな音楽である.聴いていても先の見通しが利かず,何処へ連れて行かれるのかさっぱりわからない.あとに書かれた「法悦の詩」「プロメテ」が「神聖な詩」の半分以下の時間にまとまっているのもむべなるかな.
僕にとってシノーポリの指揮は当たり外れの振幅が激しいものだが,この曲ではどうだろう.文字でも音符でもかなり小難しい理屈を並べているスクリャービンの音楽を,とにもかくにも聴かせてはくれるのだが.
お仕事の日.稟議書は「赤」でも入れて突っ返してくれた方が生産的なんだけどねえ(^^;).
毎日新聞【オリックス:中村監督が退任 成績不振を理由に】結局,プロ野球球団の親会社たる資格も気概も,この会社には無いのでしょう.一日も早い売却→撤退を切望します>>宮内義彦殿.
昨年九州を襲った台風のため施設に壊滅的な打撃を受けついに廃線,とうとう乗車する機会を逸してしまった高千穂鉄道への,愛のこもった素敵な写真集.深山幽谷の中を,ガラガラと音を立ててのんびり走るディーゼルカー(乗ったことも無いのに,何だか音が聞こえて来るような気持ちにさせられる写真なんです)の愛おしいこと!
こーゆう路線が次々と消えていくのは,やっぱりどこか間違っている想いがします.
・・・・・・ここ数日で図書館関係の本も何冊か届いたけど,あまり読む気が起きなくて困ってます(^^;).まあ,おいおい.
ショスタコーヴィチ/交響曲第14番作品135「死者の歌」@ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(DG:437 785-2)
打楽器を盛大に動員した絃楽オーケストラとソプラノ&バス独唱による全11楽章48分余り.「交響曲」としては実に異形の作品だが,ショスタコーヴィチの交響曲ではまず最高傑作と呼んでも過言じゃないと思う.
全編シニカルで絶望の衣をまとったカリカチュアが踊る,みたいな音楽.ここで何がカリカチュアライズされているかについては詳らかにしないが,主情派に見えて案外(?)主知派のヤルヴィは,ここでも骨太の輪郭を描きながらも随所に細かいところまで神経の行き届いた指揮を聴かせる.
ハルトマン/交響曲第1番「レクィエムの試み」@フリッツ・リーガー/バイエルン放送交響楽団(ヴェルゴ:WER 60187-50)
ナチの時代をいわゆる「国内亡命」という抵抗の形で過ごしたカール・アマデウス・ハルトマン(1905-1963)の最初の交響曲.アルト独唱と管絃楽のための作品で,テキストはウォルト・ホイットマンの『草の葉』から採られている.1937年に初稿が作曲されたが,最終的な形に落ち着き出版されたのは1956年のことである.
ストラヴィンスキーのようなリズムの饗宴とヴェーベルンのような点描風な静謐とバルトークのような原始的推進力が同居した,ハードボイルドで内圧の高い音楽.リーガーの棒にはメッツマッハーからは聴くことの出来ない,切羽詰ったような一種の凄みが感じられる.
お仕事の日.昨日の肉体労働の疲れ,ドッと出る(-_-;).
毎日新聞【安倍内閣:論功行賞と個人的信頼関係重視の布陣】この露骨な人事が「終わりの始まり」になりますか.新総理以下,特に教育はどうしようもなく右傾化しそうな雲行きだな(sigh).
オネゲル/交響曲第5番「3つのレ」@ミシェル・プラッソン/トゥールーズ・キャピトル管絃楽団(EMI:7 64275 2)
交響曲第5番は1951年に初演された,アルテュール・オネゲル(1892-1955)最後の交響曲.3楽章ともDの音で終わることから「3つのレ」と通称される.全編これ非常にペシミスティックで孤独を感じさせる雰囲気に満ち満ちているが,晩年のオネゲルはとみに悲観的で厭世的になっていたらしく,著書『私は作曲家である』もまたこの作品に通底する世界観に彩られている.
プラッソンの指揮は,この作品の過不足無い再現.
チャイコフスキー/交響曲第3番ニ長調作品29@エフゲニ・スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立交響楽団(BMG/メロディア:74321 34163 2)
チャイコフスキーの交響曲では,恐らく最も演奏されない作品.僕も聴けば「あ,これだっけ」と思い出せるけど,いきなり「チャイコフスキーの3番ってどんな曲だっけ?」と質問されてもメロディを答えられない(^^;).求心力よりは遠心力が働いている不思議な交響曲で,聴いているうちにどこへ連れて行かれるかわからないところが,案外に魅力かも.
このCDは1967年の録音.やたらと金属質な音のオケが奏でる,セカセカしたびっくり箱みたいな演奏を,録音が助長している(^^;).
お仕事の日.久し振りの肉体労働者.
スポーツ報知【金村、監督批判!連敗以上に痛いエース造反】,日刊スポーツ【ハム金村ヒルマン批判「絶対許さない」】昨日のジャイアンツ桑田に続いて,今度はファイターズのエースが造反(-_-;).まあ,これくらいの気概がなければプロ野球で飯を食ってはいけないのだろうけど,それにしても時期が悪すぎる.結局,読売新聞【監督批判の日ハム・金村、プレーオフ終了まで出場停止】これでひとまずケリが着いたようだけど,シーズン終了後には減棒も免れないところだろう.トレード,まではいかないと思うけど.
毎日新聞【訃報:丹波哲郎さん84歳=俳優「Gメン’75」など出演】「Gメン’75.熱い心を,強い意思で包んだ人間たち」毎週土曜日の夜9時から,放映開始当時小学生の分際で毎週見ていましたよ.「キイハンター」「アイフル大作戦」「バーディー大作戦」は再放送で見ました.丹波哲郎はコメディでもカッコよかったわけですが,ましてや「Gメン’75」は,もう(sigh).
死生命あり,とはいえ残念です.
チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調作品36@ジョージ・セル/ロンドン交響楽団(デッカ:UCCD-7057)
セルがロンドン交響楽団を振ってデッカに入れた録音(1962年).ピエール・モントゥが常任指揮者だったときのLSOだからなのか,セルの棒にも機敏に反応してピチッと縦の線の揃った一糸乱れぬアンサンブルを聴かせる.セルのフレーズが詰まり気味の指揮と,当時のデッカお得意の残響の無い生々しい録音が相まって,チャイコフスキーのセンチメンタルなところが上手い具合に中和され,チャイコフスキーの録音には珍しい,古典的な風貌を聴かせてくれる.
昨日・今日とお休みの日.墓参りとかSLの追っかけとか.墓参に田舎へ廻ったら,珍しいのが来たと歓待され,なすやかぼちゃなど無農薬野菜をどっさり貰ってしまう.頂き物は何でも頂戴する(^^;)ことにしてますが,この量には困った(-o-)/ 明日,勤務先でおすそわけだわん.
スポーツ報知【桑田が巨人退団の意向…来季現役続行を希望】【桑田に聞く…「ベスト尽くして18守れた」】,日刊スポーツ【桑田退団、巨人HPで勝手に宣言】【原監督「順番違う、信じられない」】
原監督,三行半を突きつけられたというわけですね(^^;).個人的には,桑田にはイーグルスでもう一花咲かせて欲しいものですが,実際まだ通用するだけの力が残っているのかどうか多少微妙なところも.あれだけクレバーな投手ですから,まだまだ余力が残っているのだろうと自らを鑑みてのことだとは思いますが,さてどうなりますか.
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調作品64@パウル・ファン・ケンペン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(フィリップス:UCCP-9044)
オールド・ファンから絶大な支持を受けていた録音である.一言で言えば「英雄的なチャイコフスキー」うじうじしたところの微塵も無い,実に骨太でヒロイックな演奏(その象徴が終楽章のコーダで鳴らされる追加のシンバル).それを当時のコンセルトヘボウが奏でる木目調の音色が微妙に中和して(?)なかなか味わい深い雰囲気に仕上がっている.
終楽章のカットと加筆など,今の耳にはオールドファッションであるのは致し方ないか.
Copy & Copyright Diaryの末廣さんが【著作権:文芸家協会などが保護期間延長を要望】を受けてアンケートを実施しています.
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お仕事の日.昨日の疲れが残っていて低空飛行な気分.
思うにリアルだろうがネットだろうが,自分の主張が正しいことを言い立てるのは人情からすればわからないことでもないものの,だからと言って相手の人格を貶めたり,名誉を謗らなければ自らの正しさを論じられないような内容なのであれば,もう少し自分の頭の中身を考えた方がいいと思うのですよ.結局のところ,自ら真っ当な議論では勝てないことを告白しているようなものでしょ.
最近,そんなにも憐れんで欲しいのかなあ,と思われる行動を仄聞することが多々あります.ひょっとすると,彼らは子供の頃に充分な愛情をかけてもらえずに大人になってしまい,長じてからもなお憐憫を求めて止まぬ,可哀相なひとたちなのかもしれませんね.
例の『自己誇大症候群』で,その特徴として挙げられていた中には
などとありましたけど,イマドキの方々とお付き合いするのに,この本にはホントに学ぶところが多いですね.
・低い自己評価とそれを補う幼児的万能感
・他者に対する共感性の乏しさ,罪悪感の欠如
・突発的に出現する激しい怒りや過激な行動
・傷つきやすさ,傷つきへのとらわれ
チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:419 486-2)
なんてったって,カラヤンのチャイコフスキーである(^^;).「悲愴」である.しかも,1976年カラヤン全盛期の,6度目(!)のスタジオ録音である.「完璧」このひとことに尽きる,名録音にして名演奏.
褒め過ぎ? ほっといてください.何しろこの録音,初めて聴いた「悲愴」だっただけに,思い入れが深いのです.のめりこんじゃう音楽だし(^^;).
お仕事の日.とある総会に出席するため仙台へ出張.朝方,駅へ向かう道が混んで混んで乗ろうと思った鈍行に乗り遅れ,仕方無しに新幹線に乗ったら10時に仙台着.時間潰しにスタバとジュンク堂書店をハシゴ.
総会は何も決まらない内向きの議論が延々続き,さすがにうんざり(-_-;).こんなことを2年もかけて議論してどうするんだ.審議会でも立ち上げて,吟味されつくしたものをお皿に載せて出しておくれ.貴重な時間を無駄に費やしている暇なんか無いだろう.終いには気分が悪くなったですよ.
不毛から解放されて帰路,部下から教えてもらったお店を探し当てて珈琲を一杯,やっとこ一息(sigh).
J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番BWV1007(フラウト・トラヴェルソへの編曲)@ウィルベルト・ハーゼルゼット(グロッサ:GCD920804)
ご存知J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を奏者自身の編曲で,フラウト・トラヴェルソで吹いている録音.
ことJ.S.バッハの作品に関する限り,編曲はゲテモノを生み出す行為ではない.何しろバッハの音楽はどの曲をどんな楽器に編曲しても聴こえてくるのはバッハの音楽だ,という友人の指摘があるくらいで,これも立派なバッハである.涼やかで爽やかな森のバッハ,とでも形容すべきか.
たまには立ち止まって,聴こえてくる音に耳を澄ましてみたい.しかし,そんなことが出来るのはもう少し先のことになりそう(^^;).
お仕事の日.帰宅して3本,公共図書館に関するエントリーを書くつもりが,2本で力尽きる(-_-;).今日偶然出会った仮上司に「仕事で端末使って,家でも使っていると頭の回転が鈍くなるぞ」と脅されたけど,その通りですね(^^;).
ZAKZAK【内閣広報官にフジテレビの黒岩キャスター急浮上】まさか,これまでフジテレビを初めとするFSGが安倍晋三新自由民主党総裁の路線を支持する報道を続けて来た論功恩賞じゃないでしょうね(^^;)? そうであるなら「報道の自殺」ですね.
岩手日報【節約図書館、蔵書は寄贈 矢祭町、運営に懸念も】
久し振りの矢祭町ネタ.この記事,共同通信社の配信なので東京新聞や京都新聞にも掲載されていましたが.とうとう図問研が引っ張り出されましたか(^^;).
このコメントに対して,僕よりも先にtohruさんが痛烈な批判を書いていますが,全くその通りだと思います.僕も以前「プロ公共図書館員たちはこの国の住民の「民度」,自分たちが育ててきた公共図書館利用者の「民度」をどうやら,かなり低く見積もっていたんじゃないでしょうか」と書きましたが,まさにそれがこのコメントによって実証されたようなものです.
“節約図書館”は関係者に波紋を広げている。司書らでつくる図書館問題研究会の西河内靖泰副委員長(51)は「図書館の存在意義は建物よりも蔵書・資料にある。数さえそろっていればいいというものではない。住民ニーズを踏まえた収集方針が先にあるべきだ」と話す。
やっぱり,図問研の発想の根底はパターナリズムなんですよ.それ故,住民が直接選書にあたれる「選書ツアー」には職員の判断が制限されるから反対,寄贈のみによる蔵書の構築も職員の介在が認められないから反対,という図式.住民がプロ公共図書館員の発想の枠を超えて公共図書館について意見したり行動したりするのが余程嫌いなんでしょう.度し難い選民思想と「結果の平等」を求めるパターナリズムの交雑の結果なのでしょうね.
しかし,既に18万冊(!)が集まったのですか.そう言えば以前リンク集を作成したときに僕が,集まっている冊数を以って矢祭町が正しいことをしている,と主張したかの如き批判がありましたが(挙句に「ある種のネットにおける主張の表出の方法の典型」などという嫌味を言われるわけですが),表面に出ている冊数もさることながら,これだけの志が陸続と集まっていることの重みを僕としては考えて欲しいのですね.
繰り返しになりますが,何故かなりの数の住民(矢祭町在住者だけではなく他の地方在住も含めた)が矢祭町のやり方に好意を寄せているのか,プロ公共図書館員はもう少し冷静に考察してみては如何ですか?
さて,日本図書館協会がJLAメールマガジン320号(2006年9月13日発行)にて,山口県周南市で発生した高専生殺人事件に関する新聞記事の閲覧制限を廻る一連の問題について出したコメントが公表されました.
正直なところ,これは「丸投げ」同然のコメントでして,1997年の「FOCUS」一件からの流れに置いて見ればmatsuさんが「不可解」と評するのは無理の無い内容だと思います.特に,中程にあるナカグロであらわされた項目のうち1,3,5番目は明らかに整合性を欠いてます.
また,ナカグロの2番目は,「FOCUS」一件における「見解」が日図協の指示であると公共図書館や一般市民に誤解されたことが念頭にあるのだろうと思われます(翌年の「文藝春秋」「新潮45」の際は「参考意見」にしたのはそのためだと,この「参考意見」に書いてある).日図協の「見解」には公共図書館を拘束する根拠は,倫理的にはともかく法的には無いと思われるので,「見解」を指示だと受け止められるのは誤りだ,というのは確かにその通りなのですが,それならそれでもう少し明確な形で軌道修正をする必要があったと思いますが,どんなものでしょうか?
「文藝春秋」一件の際の「各館での主体的な対応を求める」に基づけば,今回の周南市の件では閲覧制限をしないという選択は当然あるわけですし,閲覧制限をしなかった公共図書館の対応が「閲覧制限」に対するバッシング報道に流された結果だ,という批判は,必ずしも当たらないだろうと考えます.「閲覧制限」について,「事なかれ主義による制限じゃないか」あるいは「職員が公共図書館についてよく学んでいないから安易に閲覧制限に走ったのでは」という批判も存在します.
ただし,後者の批判は評価が少々難しいと考えてます.「公共図書館についてよく学んでいなかったから,何もしなかった=閲覧を制限しなかった」というケースが当然考えられるからです.
そうこう考えてみると,「FOCUS」一件以来,少年事件報道を廻る日図協の対応には,何処かズレがあるのではないか,ピントが合ってないのではないか,という印象を受けます.日図協と言えども人間のやることですから,多少のぶれや揺れは止むを得ないだろうとは思いますが,問題の所在を今一度洗いなおす必要があると考えます.
でもって,「新聞報道の協会コメントには、これまでの事案についての状況説明や一般論を混同して記述していることが見受けられ、正確さを欠くところがある」と言うのであれば,正確なコメント(プレスリリース)を出すべきですね.検証できる資料を提示せずに「正確さを欠く」と言われても,評価の仕様が無いでしょうに.
ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調作品27@ポール・パレー/デトロイト交響楽団(マーキュリー:434 368-2)
土俗派じゃない,お洒落で(?)ロマンティックななラフマニノフの極北のような演奏.と言ってもシャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団(デッカ)のような無菌状態なイージーリスニング的な美しさとは違う.
これでカットの無い全曲版だったら,間違いなく2番目に押せる録音(僕のベストはアレクサンドル・ラザレフ/ボリショイ歌劇場管[エラート])だったのだが,残念ながら全体的にかなりのカットがなされているようだ.
お仕事の日.
毎日新聞【大相撲:元十両の琴冠佑が引退届】微妙な記事.元十両とはいえ,取的には厳しいのう(-_-;).先場所,幕内力士が暴力沙汰を起こしたときとは取り扱いが,エライ違いだ.
シューマン/チェロ協奏曲イ短調作品129@ヨーヨー・マ&コリン・デイヴィス/バイエルン放送交響楽団(ソニー:30DC 5074)
ちょっとヘコんでいるときはシューマン(^^;).
このblogとは直接関係の無い話ですが,過日は自らの見通しの甘さ故,あちらこちらに迷惑をかけてしまい,今更ながら社会人としての自覚に欠けていたことを反省している次第です.四十歳にもなって!
そんな気分にシューマンを沿わせるとは,何たる甘さ,とお咎めを蒙りそうですね(sigh).
お休みの日.午前中はひどい雨降り,予定した小旅行を取りやめて近場に変更したら,駐車場が満杯で会場に入れない.止むを得ず駅前でショッピングなどして帰宅.うーん,高い買い物をしてしまった(-_-;).
日刊スポーツ【吉野家の牛丼復活、100人の行列も】吉野家前の行列は某所で僕も見ました.何事ならんと思ったら,こういうことだったんですか(^^;).
映画を見るのは実のところあまり好きではない.特に映画館で映画を見るのが苦手(暗いところで大画面見続けていると頭痛がしてくる)なくせに,映画にまつわる本を読むのは大好きというのは,何処かおかしいですかね(^^;).
この本は大正元年,映画「怪盗ジゴマ」が大流行を巻き起こした挙句に,それが騒動にまで発展し最後には上映禁止にまで及んでしまう,その流れを,活動写真が娯楽の王様に躍り出る時代相,あるいは幻の「ジゴマ」ストーリーの発掘から説き起こした好著である.そう,「ジゴマ」の流行は,実は今に至るメディアミックスの先駆けだったのだ.
副題に「新橋・東京・万世橋」とあるけど,実質は31年間しか存続しなかった「万世橋駅」への愛惜を込めて書かれた本である.中央線の最初の始発駅として語られることの多い万世橋駅を,新橋-万世橋間の赤煉瓦アーチの側から描き出している.アーチの片一方の終点である新橋について触れているところは少ないのが玉に瑕(^^;).何しろ,赤煉瓦新橋駅の終焉についてさえ触れられていない.
ただ,それを補って余りある,万世橋駅への著者の思いと知識が,新橋駅の記述などどうでもいい気持ちにさせられるのも確かだ.
ふと気がついたらこの本の帯に「アンコール復刊」と書いてある(^^;).1995年初版の本を「アンコール復刊」とは,出版業界も余裕が無いのかしらん?
それはさておき,今をときめく安倍晋三の母方の祖父,戦前は革新官僚の出世頭にして,戦後は自民党復古派の領袖にして最晩年まで隠然たる影響力を保持した大物政治家の評伝である.なるほど孫が改憲改憲と錦の御旗を立てたがる理由の一端はわかったような気がする.数日前の毎日新聞で後藤田正晴が生前,何やら安倍に吹き込んだ佐々淳行に「岸の影響力を馬鹿にしてはいけない」と釘を刺したという記事が掲載されていたが,むべなるかなというところ.
そして戦前の,精密機械のような統制派・革新官僚としての切れ者ぶり.個人的には戦後の岸よりも戦前の活動の方が興味津々(^^;)だったりするのだが,とても一筋縄ではいかない人物を,よくも新書という限られたスペースに盛り込みきった,そんな本である.
シューベルト/6つの大行進曲D.819@タール&グロートホイゼン(ソニー:SRCR9961-2)
シューベルトの生誕200年(1997年)記念で出たピアノ連弾作品集の1枚から.6曲をひと組にした性格的な行進曲集で,続けて演奏すると1時間はたっぷりかかるという,文字通りの「大行進曲」(^^;).
特に5曲目の変ホ短調による葬送行進曲は演奏に20分近くかかる大曲であり,傑作である.僕のときは,下手なお経よりもこんな音楽を誰かが弾いてくれるといいなあ(^^;).
休日出勤の日.午前中で開放される(^^;).
日刊スポーツ【作家、評論家の上之郷利昭氏が死去】辻井喬が一時期大好きだった僕は,上之郷利昭の西武関連本をいろいろ読んだものです.佐藤愛子の『血族』ではないですが,上之郷の本に拠れば,あの一族も相当なものだったようですね.今やセゾングループも解体され,詩人・作家の辻井喬はともかく,経営者としての堤清二は・・・・・・.
matsuさんから懇切なコメントを重ねていただきました(その1,その2,その3).ありがとうございます.今回の「週刊新潮」「読売新聞」に対する日図協の対応の何が問題なのか,よくわかります.実は,「フォーカス」の件から「文藝春秋」「新潮45」をめぐる件への流れは,間の悪い(?)ことに『図書館の自由に関する事例33選』(日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編/日本図書館協会/1997年6月初版)の出版直後の事例であるため,この本には掲載されていないのですね.他にまとまった形で記載されている例もちょっと思い当たらないので,日図協と少年法第61条の関わり方について興味のある方はmatsuさんのコメントを是非ご一読ください.
その上でなお,僕は公共図書館が少年法第61条を「閲覧制限」の根拠とすることは妥当ではないと考えてます.それでも求められた資料を主観的な加工を施すことなく提供することが図書館の義務だと思います.僕がここで書き散らかすより以前,「フォーカス」に対する日図協の「見解」について,既に「図書館雑誌」91巻9号(1997年9月,「見解」が掲載されたのは91巻8号)の〈投稿FORUM〉(p773-775)で「見解」に対する疑義が提出されていますが,公共図書館が守るべきプライバシーとはあくまで「利用者の利用の自由を保障する」(p773)ことが目的であり,図書館側が所蔵する資料におけるプライバシー侵害を点検し,資料の利用を制限することが目的ではありますまい.その点で現行の「図書館の自由に関する宣言」1979年改訂には問題がある,とする〈投稿FORUM〉の筆者に僕は左袒します.
どうにもうまくまとめられないので,今日のところはここまでにしますm(_)m
お休みの日.一日中寝てました(^^;).目が覚めたらBS1で福岡-横浜戦を放送している始末.明日からは通常営業に戻れると思いますので,コメントへのお返事などもう少々お待ちをm(_)m
産経新聞【山本昌が無安打無得点試合 41歳1カ月、史上最年長】まだまだ終わらないよ「昭和40年組」(^^;).山本昌広投手のプロフィール.何でもラジコンでは日本有数の腕前とか.
ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調(ノヴァークⅣ/1)@エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団(テルデック:0630-14198-2)
いわゆる「第1稿」による録音.第5番で頂点に達するブルックナー初期の前衛的,分析的な作風が,インバルの芸風のせいなのか,骨っぽく露わになっているのが面白い(^^;).この演奏には,マーラーを飛び越えてシェーンベルクやヒンデミット,ウェーベルンあたりに直結しそうな雰囲気が漂っているようだ.
お仕事の日.いろいろあって,くたびれ果てました_| ̄|○ コメントのお返事などは少々お待ちくださいm(_)m
ZAKZAK【女子プロレスラーの神取忍が繰り上げ当選!? 】,毎日新聞【新庄選手:来夏の参院選、自民党が立候補打診】自民党も小泉ポピュリズムのおかげでヤキが回ったんじゃないかと思わせる記事二題.
これも【愚智提衡而立治之至也: 大義,親を滅ぼす】の続きです.
matsuさんから頂いたコメントを読んで思い出しました.神戸の連続児童殺傷事件(1997年)のとき,日本図書館協会は「『フォーカス』(1997.7.9号)の少年法第61条に係わる記事の取り扱いについて(見解)」という文書を出していたのですね.これもすっかり忘れていました.記憶力が落ちてますぞ>>自分.
この見解,web上では探し出すことが出来ず,どうしたものかと思っていたところ,以前自分でこの件に関する文章を書こうと思って資料集めをしていたことを思い出し,本棚を探したら付箋を付けた「図書館雑誌」91巻8号(1997年8月)を見つけました.その581pに全文が掲載されています.matsuさんご指摘のとおり,今回の公共図書館の対応を考える上で重要な文書ですが,日図協のサイトには2000年以前の見解は掲載されていないようですし,web上の他の場所にも見当たらないようですので,以下に全文を転載してみます.
とここまで打ち込んだ直後,matsuさんの次のコメントでweb上に見解のある日図協図書館の自由に関する調査委員会のページをご教示いただきました.ありがとうございます.
『フォーカス』(1997.7.9号)の少年法第61条に係わる記事の取り扱いについて(見解)
社団法人日本図書館協会
平成9年7月4日1.写真週刊誌『フォーカス』(1997.7.9号)掲載の,14歳の殺人罪等容疑者の正面顔写真は,少年の保護・更正をはかる少年法第61条に抵触する可能性が高い.
2.すべての図書館資料は,原則として国民の自由な利用に供されるべきであるが,上記の表現は,提供の自由が制限されることがあるとする「図書館の自由に関する宣言」第2-1-(1)「人権またはプライバシーを侵害するもの」に該当すると考えられる.
3.この対応にあたっては,「宣言」第2-2(資料を保存する責任)に留意する.当該誌の損壊・紛失等のないよう配慮が必要である.また,受入・保存を差し控えるような対応或いは原資料に図書館が手を加えることについては,首肯しがたい.
4.『週刊新潮』についても上記に準じるものと考える.
5.各図書館におかれては,以上を踏まえての対応をお願いする.
(時間切れにつき,この稿未完)
フランシスコ・タルレガ編曲のショパン作品集@ティモ・コリョネン(オンディーヌ:ODE903-2)
「ギターのサラサーテ」ことフランシスコ・タルレガ(1852-1909)がショパンのピアノ曲をギター・ソロに編曲した作品(と,タルレガの弟子ミゲル・リョベートの「カタロニア民謡集」)を収めたCD.中には夜想曲作品9の2や前奏曲作品28の7(太田胃酸!),同じく28の15(「雨だれ」前奏曲)のような有名な作品もある.ピアノで演奏されてもロマンティックな作品群が,ギターに編曲されることによって(いや,タルレガが編曲することによって,かも)ロマンティックな情感が更に増幅されている.個人的には,ここまでいくと少々甘すぎ(^^;)の感無きにしも非ずだが,CDに聴く限りでは,技巧的にはかなりの難物と思われる.
【愚智提衡而立治之至也: 大義,親を滅ぼす】の続きです.TB,コメント,その他いろいろありがとうございます.
今回の「閲覧制限」一件は,雑誌のみならず読売新聞という公称発行部数最大の新聞が主役だったこともあずかってか,主要5紙+共同通信社が揃って紹介したことも手伝い,かなりの数のblogが触れているようです.ちょっと確認しただけでも相当な広がりを持っているようなので,矢祭町リンク集同様のものを作るのは早々に断念しました.
図書館関係のblogで目からウロコが落ちたのは【野生のライブラリアン : 「高専生殺害、実名掲載の読売新聞を閲覧制限」は是か非か】と【Motohiroの本音トーク : 「高専生殺害、実名掲載の読売新聞を閲覧制限」に図書館の限界を感じます/何をしているの公共図書館】を読んだときです.両者ともほぼ同じことを述べています.ちょっと長い引用ですが,前者から.
僕はたまたま先日,読売新聞社の記事データベース「ヨミダス文書館」営業担当の方の話を伺う機会を得ましたが,この方は大意「読売新聞はYOMIURI ONLINEというホームページを運用しており,その日のニュースはこちらに載せ,一定期間が過ぎるとヨミダスに収録するというやり方を取っています」(筆者によるまとめ)と説明していました.
閲覧制限を新聞本紙のみにしかしていなかったのではないかという点です。現在、新聞のトップニュースはその新聞社のWebでも公開されています。ということは、館内にインターネット接続可能なPCがあり、それが一般公開されていた場合、そのPCにも何らかの制限を加えないと片手落ちになるという点です。少年法に反しているというのであれば、「新聞紙だけでは、閲覧制限になりません。」と言うことです。
考えてみればこの「Webの時代」に,紙媒体の閲覧を制限すれば事足れり,ということがあるはずがありません.僕が先のエントリーを書いたときに,そこまで考えが至らなかったのは正直,迂闊でした.
(この稿未完)
お仕事の日.
毎日新聞【前川清さん:大阪ディナーショー中止 イベント会社姿隠す】気の毒な話.この業界でいわゆる「ご難」と呼ばれる詐欺らしい.昔はよくあったと聞くが(エノケンでも最晩年に台湾でやられたそうだ),このごろでは前川清ほどの大物がやられるのは珍しいのでは?
読売新聞【「大学は9月入学に」安倍氏、討論会で提唱】これは粛々と進めてください(^^;).
ヴィラ-ロボス/ブラジル風バッハ第2番@イサーク・カラブチェウスキー/ブラジル交響楽団(アダ:590 901.3CD)
今日は鉄道に乗ったので,鉄道に所縁のある作品を聴きましょう(^^;).この作品,終楽章に「トッカータ:カイピラの小さな汽車」という表題が付いてます.この録音はブラジルのオケによる演奏ですが,一応「本場モノ」とは言え,どうにも絃が非力で(*_*).
ところで,僕はこの作品を聴いていると,どうしても冨田勲が1960年代のテレビ用に書いていた劇伴のオーケストレーションを連想してしまうのですよね.サックスの使い方とかそっくりですよ(^^;).
都内某所に日帰り出張.東北新幹線-埼京線-山手線-荒川線-某所-荒川線-山手線-東北新幹線.
荒川線最高(^o^)/ 大塚銘菓は最中だったのでパス.ゴメンなさい,最中苦手なんですm(_)m
JR上野駅,18番線ホーム跡地.上野駅で勤務先への土産に「あんみつ」買って帰宅.
で,肝心の内容はというと,分厚い資料など収穫はあったのだけど,ウチで使えるかというと少々疑問.予算を分捕ってさりげなくメニューに出せばいいだけなのかもしれないけど,それを使いこなすだけのリテラシー教育をどうするか.結局は高価なオモチャに成り下がり,挙句に図書館の負担が増えるだけになりかねないのがちょっとイヤ(-_-;).まあ,おいおい考えますわ.
で,夕飯をラーメン屋で食べていたら,いきなり女声でオフコースの「愛を止めないで」が流れてきたのに吃驚(*_*).調べてみると,どうやらこちらの歌手らしい.知らなかったのは僕だけか(^^;).「愛を止めないで」は名曲かもしれないけど,とうとうこんなものまで掘り起こされカバーされていたのかと思うと,ちょっと複雑な気分になります(sigh).
お仕事の日.
勤務先でも「閲覧制限」の件,公共図書館のダメダメぶり(^^;)が話題になる.何しろ,判断したのはどこもかしこも権限をお持ちの正規職員なんだろうから,「屋台骨がぐらついている」と言われても反論できないよ,僕は_| ̄|○ 図問研の忠実な使徒と目されるblogたちは,この件で何か発言があるのかどうか,興味のある方は見てあげてください.
産経新聞【お名前「悠仁」 親王さま命名の儀】さすがに内容が詳しい(^^;).
リヒャルト・シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:447 441-2)
1973年の録音.カラヤンのリヒャルト・シュトラウスは,そのチャイコフスキーや新ヴィーン楽派の録音と共に,あとあとまで評価される録音だと思うが,最近はひとの口の端にもあまりのぼらないように見える(^^;).シュトラウス自体が他の作曲家に押されて地盤沈下気味,ということでもあるまいが.
なんつーか,この演奏も余裕綽々という感じで,実に美しく整然と音楽が進行していく.
産経新聞【読売新聞を閲覧制限 大阪・豊中の図書館】
毎日新聞【閲覧制限:全国の図書館に広がる 実名報道の新聞・雑誌】
読売新聞【高専生殺害、実名掲載の読売新聞を閲覧制限】
朝日新聞【高専生殺害の実名報道紙、各地で閲覧制限】
日本経済新聞【実名掲載の新聞、一部で閲覧制限の動き・高専生殺害事件】
図書館ネタが主要5紙で1日に揃い踏み,というのはあまり記憶に無いのですが,今回はメディアで対応が異なることも手伝ってか,注目度が高いようですね.
こちらも読売新聞と同様に犯人の実名を伝えている「週刊新潮」の取り扱いに関してmatsuさんからコメントをいただいており,そのお返事を書こうと思っていたところです.そこに今日は一斉に読売新聞の閲覧制限が伝えられ,公共図書館におけるこのような行為について世間の関心も高まっているところでしょうか.
現実にどのようなことが行われているのか,については毎日の記事に載っている写真が参考になります.酷いことするなあ,と思います.
で,僕はことこのような「閲覧制限」の動きに対しては図書館原理主義を押し通す,それもその最強硬派の最右翼に位置しています.つまり,如何なる理由があれ住民がある資料を何らかの留保無しには閲覧できない状態に置くのは断固反対,という立場です.公共図書館がある資料に対し,何らかの説明を付すことも本来は許されない行為である,という考え方をとります.
そのような立場を堅持する理由ですが,ひとつには,公共図書館がその機能を通じて住民に保障するのは「知る権利」(「知る自由」ではない)と「機会の平等」(「結果の平等」ではない)であるという,公共図書館を学んだ者としての当然の意識があります.いまひとつには,本質的にこの手の問題は読者が考えるべきもので,公共図書館がその利用に対して何らかの意見なり制限なりを付け加えるべきものではない,という考え方を是としているからです(*).
それ故,今回の騒動のもう一方の主役である少年法とその精神については,僕は公共図書館が判断することでは無いと考えます.その資料を読んだ読者ひとりひとりが少年法について,少年の処遇について考える機会を提供するのが公共図書館の役割であり,少年法の是非を判断する役割は公共図書館の役どころではありません.読売の記事にある豊中市の図書館長や,朝日の記事にある静岡県立図書館の如く,そこのところを取り違えた図書館関係者がいたことは残念です.
毎日の記事にある「館長判断で週刊新潮を購入しなかった」福岡県立図書館の対応に至っては論ずるに値しません.
ショスタコーヴィチ/交響曲第10番ホ短調作品93@マリス・ヤンソンス/フィラデルフィア管絃楽団(EMI:3 65300 2 4)
何しろ「非人情の極み」カラヤン盤(DG,1981年録音)が余りに凄絶な演奏なので,他の指揮者による10番の録音は少々霞みがちなのは止むを得ない仕儀か(^^;).この録音は純音楽的と言うか,アクの少ない中間色っぽいところを狙ったと思しき演奏だが,良くもも悪くも「安全運転」に聴こえてしまうのは,カラヤン盤の呪縛に帰してしまってもよいものかどうか.
終楽章の説得力がいまひとつなんだよなあ.
お仕事の日.朝,ご飯を炊こうとしたら備蓄してあるはずの米びつがカラ_| ̄|○ 時々やらかすケアレスミスだけど,さすがに月曜からこれではちょっとメゲる.
統制とか絶滅危惧種とか産業廃棄物とか,いろいろと考えていることはあるけど,熟成が足りないのか空回り気味なので,しばらくは読書しながら充電してますよ(^^;).
ニールセン/交響曲第3番作品27@レナード・バーンスタイン/デンマーク国立管絃楽団(CBS:MK 44708)
バーンスタインはCBS時代にニールセンの交響曲のうち,第2番から第5番までの4曲を録音している.この第3番はニールセンの祖国デンマークのオケを振っての録音(1965年).壮年期のバーンスタインらしい,情熱的な棒でスケール豊かに音楽が奏でられていく.終楽章のコーダの盛り上がりはなかなかのもの.
お休みの日.掃除洗濯を済ませて,無料になった母成グリーンラインへ行ってみる(参考:毎日新聞【母成グリーンライン:早くも無料開放効果、峠や中ノ沢温泉活況--初の週末 /福島】).それほどクルマの量が目に見えて増えていたようには見えなかったけど,終着点にある中ノ沢温泉では集客を当て込んで,いろいろなノボリがはためいていたことでありました(^^;).
重陽の節句.本来なら「菊の節句」で仲秋の名月よりもあとに来る節句なのだが,太陽暦でやると少々トンチンカンな感じになるのは止むを得ない.
お休みの日.午前中は定期通院.午後は書店と食料調達など.久し振りにリアル書店で本を買う(^^;).
毎日新聞【訃報:阿部謹也さん71歳=一橋大元学長】僕も人並みに『ハーメルンの笛吹き男』は(公共図書館から借りて)読みました.20年以上前に読んだきりなので,細部の記憶は不明瞭ですが,とにかく面白かったのを覚えています.またしても,あたら惜しいひとを失いました.
マーラー/交響曲第6番イ短調@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:POCG-2256/2257)
長女が「マーラーを何か推薦して」と言うので,これはやはり最高傑作からいくべきかと第6番を考える.先日の初マーラー,生で第4番聴いたら「つまらんかった」そうなのだが,まあそれはそうだろうと(^^;).「4番てのは,マーラーの作品の中でもちょっと違うからね」と応えておく.
カラヤンの録音は,僕が初めて聴いた6番.中学2年生の分際で,LP2枚組4600円也を2か月分の小遣いをはたいて買ったんじゃなかったかしら? それ以来,何度聴いたかわからない.LPは友人に譲ってしまって手元に無いが,こうしてCDを聴いていると,隅々までオケの音楽的統制がとれていることに,改めてカラヤンのずば抜けた能力を感じないわけにはいかない.初心者にはもちろん,すれっからしが聴いても充分に聴き込める演奏である.
個人的には「所有」への欲が個々の人間から完全に消滅しない限り,いわゆる「図書館」という思想/概念/手段/方法は消滅しないだろうと思ってますが,甘いですかね(^^;).フェティシズム=物神化,というと少々語弊がありそうですが,コレクター/コレクションへの人間の欲望と,その裏側にある「公平」「富の再配分」志向が人間にある以上,「図書館」は存在し続け得ると考えてます.
お仕事の日.昨日のリフレッシュ休暇の効能は,本日の帰宅後だった(^^;).
日刊スポーツ【故桂春蝶さんの長男春菜が3代目襲名】二代目春蝶が亡くなって13年にもなるとは.つい先日のような気がしていたのですが.
ショスタコーヴィチ/交響曲第8番ハ短調作品65@エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(BBC:BBCL 4002-2)
1960年9月23日,ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおけるロンドン初演の録音.狂気の天才剣士が断崖絶壁を背中に,白刃をきらめかせ当たるを幸い,カタキをなぎ倒すの図(-o-)/ いや恐ろしい.どれだけ狂気乱舞に陥っても乱れないアンサンブル,ねっとりとしたロシアの金管,異様なまでに研ぎ澄まされたオケの音色.
生で聴いたら逃げ出したくなったかもしれない.
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番ニ短調作品112「1917年」@マリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団(EMI:3 65300 2 4)
「出来損ないの映画音楽」とまで酷評された作品だが,意外にファンは多いのだよ(^^;).何よりショスタコーヴィチの職人芸的管絃楽法と演出法を堪能することが出来る.
ヤンソンスの録音は,余計なものはすっぱり切り捨てて,音楽一本で勝負している丁寧な演奏.存外ねちっこさには欠けるので,聴き手によっては多少物足りないかも.
自分で勝手に設定した(^^;)リフレッシュ休暇の日.
ご存知の方も既においでかと思いますが,「はてなブックマーク」を始めました→「愚智提衡而立治之至也の取り急ぎブックマークしました」
毎日新聞【山口高専生殺害:日テレ、テレ朝も実名、顔写真を放送】出来れば全国に指名手配された時点で,氏名と顔写真の公開をしてもよかったんじゃないだろうか.今回の場合は,恐らく役に立たなかっただろうとはいえ,逃走時の服装や使用したバイクについて,警察からはついに正式な発表が無かったと言うし,そこはやはり一考の余地があるような気がする.
ベートーヴェン/ミサハ長調作品86@ミシェル・コルボ/リスボン・グルベンキアン管絃楽団&合唱団(エラート:0630-17890-2)
読売新聞【秋篠宮家 男児ご誕生 : 特集】
取り敢えず「祝った者勝ち」(^o^)/ということで.
このミサ曲は,「闘争と勝利」がトレードマークの中期ベートーヴェンには似つかわしくない(^^;)ほど,伸びやかで明るくすべてが和やかに進行する佳作です.元来,あるお祝いのために作曲された作品ですが,その場に相応しい明るさと暖かさがあります.その暖かさをコルボの指揮が的確に再現しています.
東奥日報【残弾ないと思い込む/海自大湊】このニュースは,今日のニュース番組等で本来もう少し大きく取り上げられてもいいはずなのに,命拾いしましたね(^^;)>>海上自衛隊.
調子に乗って勝手なことをほざくアホ.
産経新聞【【識者コメント】愛子さまを皇位継承者に/有識者会議で議論を】八木秀次や中川八洋の如き不見識な識者に,新宮誕生についてコメントさせる行為こそ,不敬・不遜の極みだと思うのですがねえ・・・・・・(sigh).
もうひとつ産経新聞【どうなる皇室典範改正論議 女系論議は沈静化か】「源定省」という前例を知らんのか,こいつらは.臣籍降下から天皇になった前例はあるのだぞ.「旧宮家」のすべてではなく,誰かひとりが皇族復帰すりゃ充分です.
お仕事の日.
昨日からの話,今日もいろいろ話あり.
東京新聞【5年存続に11億円 鹿島鉄道運行継続へ さらに難題】この国の中央政府は,よほど地方に鉄道があるのがお嫌いなんでしょうなあ(-_-;).茨城交通湊線も危ないらしいし,この秋は茨城の私鉄乗り潰しの旅を決行か.
昨日今日,あるニュース(^^;)を聞き,それに関する調べ物をしているうちに,おや確かこの本を持っているはずだぞ,と探したらやっぱりあった.
城山三郎の『男子の本懐』でのみ知られている感もある浜口雄幸(1870-1931)の政治的履歴をたどった評伝である.根回し嫌いの政治家であった浜口が,如何に自らの政策を正面突破の形で実行し,挫折していったかを丹念に描き出している.先程読み直してみたけど,いい仕事だったと思う.
しかし同じ著者が『浜口雄幸』から数年後に出た『満蒙独立運動』は,院生にでも下請けに出したのか,あまり誉められた内容の本ではなかったと記憶する.「柴四郎」など漢字の間違いも多かったし.
占領期の東京で占領軍(進駐軍)に接収された建物の写真と簡単な来歴を収録.さすがに「シリーズStartLine」と称するだけあって,図と写真をふんだんに使ったわかりやすい解説が,中学生レベルの歴史の初心者でも読みこなせるだろうという仕上がりになっています.この本を持って都内を散歩するのも一興.
イグナーツ・フリードマンによるバッハ編曲集@ラース・ボイェ・イェンセン(ピアノ)(クラシコ:CLASSCD 190)
何かこのところ,公私共にいろいろありすぎたためか,昨日今日とネットに向かうモチベーションが上がりませぬ(sigh).こーゆうときは恐らく,書物と音楽の黒い森に埋没するのがよろしいようです.
このCDはヴィルトゥオーゾとして鳴らしたピアニスト,イグナーツ・フリードマン(1882-1948)がJ.S.バッハの作品をピアノに編曲したものを集めています.最後の〈トッカータとフーガ〉ニ短調BWV565以外は,親しみやすい音楽を編曲したものが並んでいます.「目覚めよと呼ぶ声あり」BWV645など聴いていると,他者の評価を気にして,勝手にもがいている自分が馬鹿馬鹿しくなってきます.
「美のために破ってはいけない規則など無い」とベートーヴェンが言っていたような気がする(^^;).つまるところ誰かが言っているらしい「美しい国」ってのは,要するに「オカミは規則を破っても構わない国」の暗喩でしょうか.
お仕事の日.
スポニチ【牛島監督 今季限りでの退団発表】【牛島監督後任候補に斉藤、平松両氏】,日刊スポーツ【横浜牛島監督が退団会見、後任候補】この球団は,いつまでジャイアンツに代表される旧態依然とした球団経営を続けていくつもりなんだろう.これじゃ「一将功成りて万骨枯る」どころか万骨が枯れるだけで跡にぺんぺん草も生えない地面が残る,ということにもなりかねない.
京都新聞【赤れんがパーク整備構想を表明 舞鶴市長、倉庫群全体を保存・活用へ】これだけのモノを観光資源として活用しない手は無いですよ(^o^)/
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調@エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(フィリップス:464 950-2)
モノラル録音(1953年)で地味目の音色,あまりタメを作らない,速めのテンポの演奏だが,聴き手には「うた心」と豊かな音楽が十二分に伝わってくる.月並みな表現だけど,「いい演奏」というのはこーゆう演奏を指すのだな.聴き手を幸せに,満ち足りた気持ちにしてくれるのだから.
休日出勤の日.
山陰中央新報【アクアスのバブルリング芸を世界へ発信】そんな貴重なものとは露知らず,先日見てきましたよバブルリング(^^;).フラッシュ炊けないのでブレてますが,僕がデジカメで撮影した写真あります.
何かの縁で当blogを訪れたみなさまに,何か良いことがありますようにm(_)m
ブラームス/交響曲第1番ハ短調作品68@オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管絃楽団(EMI:7 69651 2)
ブラームスの第1番の録音では,ベーム/ベルリン・フィル(DG)とともに屈指の名演.
「オットー・クレンペラーは若い時はこのドイツ楽派の典型的な存在だったし,晩年にいたっては,その原型というべきものになった」
(ハロルド・C・ショーンバーグ『偉大な指揮者たち』より.ただし引用文は吉田秀和『世界の指揮者』新潮文庫版69頁による)
図書館業界にはことあるごとに「アメリカでは」「アメリカでは」とUSAを引き合いに出すヒトが少なくない.そんな「公共図書館の国」USAの抱えている「あやうさ」というものを知ることのできる好著.ことはUSAの「建国の大義」も絡んで,一筋縄ではいかない複雑な様相を呈しているようだ.
そう,「原理主義(fundamentalism)」とはすっかり「イスラーム」という言葉と不可分な形容にされているが元来,イスラームのそれではなくキリスト教のそれを指す言葉であったものを,誰かがイスラームのそれに転用したものだったらしい.
人生の最初から最後までボタンを掛け違われ続けた人物の,哀れにも無残な生涯をたどった本.歴史の流れに翻弄された,と言えば聞こえがいいかもしれないが,歴史の流れを一時でもつかむにはあまりにも受身で,小賢しい発想と近視眼的な見通ししか持ち得なかった.しかも溥儀を取り巻く連中が輪をかけて小賢しく,近視眼であったことが彼の命運を決したのである.
実は『丸山眞男の時代』の方が『丸山眞男』より面白く読めたのは,僕の性癖のしからしむるところではあるかと(^^;).それは『丸山眞男』がつまらなかったことを意味するわけではなく,『丸山眞男の時代』の方が記述する対象に対して批判的であることを意味しているに過ぎないと思います.たまたま僕は『丸山眞男の時代』を先に読んでしまったけど,興味のあるひとは『丸山眞男』を先に読むことをお薦めします.『丸山眞男』を読んだだけでは「なるほど」で済んだことが,次に『丸山眞男の時代』を読むと「なるほど,しかし」や「なるほど,それで」になるかもしれませんから.
とにかく,日本における「近代」あるいは「近代化」の流れということを考えるとき,丸山眞男の思考は(いまでは幾分,限定や留保が付くのは止むを得ないとは言え)大変に示唆に富むものであり,その断片でも残照でも多少なりとも押さえておかなければならないものだろうということを,この二冊の本に確認させられました.何しろ僕は,『フルトヴェングラー』の鼎談で始めて,丸山眞男の謦咳に接したという不勉強な輩ですので,これ以上のことは言えそうにもありません.
昨晩は夕飯食べたらダウンしてしまいました○| ̄|_ 本人それほどでもなかったんですけど,今週は疲れたんですね(sigh).
お休みの日.午前中は掃除洗濯.午後は食料調達などで外出.
中国新聞【3つのプロ応援バナーはためく】この見出しを見たとき,カープとサンフレッチェはすぐに思いつきましたが,もうひとつの「プロ」が広島交響楽団とは気がつきませんでした.
なるほど,スポーツは「文化」でありました.何だかちょっとウラヤマシイ(^^;).
マーラー/交響曲第1番ニ長調@ヴァーツラフ・ノイマン/チェコ・フィル(スプラフォン:SU3880-2)
チェコ・フィルの絃楽セクションの響きを堪能できる,アナログ最盛期(1979年)の録音.途方も無いスケール感は無いものの,ノイマンの素直な音楽(このひと,ドヴォルジャークよりもマーラーの方が好きだったのではないかしら?)が,マーラーの「青春の記念碑」の過不足無い再現を担っている.
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