2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

コメント・トラックバックの取り扱いについて

  • コメント・トラックバックをお寄せいただき,ありがとうございます.blog主が確認ののち,公開されますのでしばらくの間,お待ちいただくことがありますがご了承ください.当blogに無関係な内容のコメント・トラックバックはblog主の判断で削除されるものもあります.

「貸出至上主義者」度チェックβ版

ココログ


ほし2

« 日常(2006年6月22日) | トップページ | 日常(2006年6月24日) »

2006/06/24

「図書館の商業化」に関する古い文章を再掲してみる

 以下にUPするのは,本家サイトにhtmlで論考をUPしていた頃,2001年3月6日にサイトにUPした文章です.一人称を直した以外は手を加えていません(^^;).


 先日あるところで,ある老業界人が「図書館の商業化」を憂えていた.大略は「ある業者によってNPOが立ち上げられ,一見公共図書館の発展に貢献しているように見えるが,内実は委託の促進である.図書館関係者がNPOの役職に就くことにより〈図書館の商業化〉が推し進められている.何故,公立の図書館は税金でまかなわれているのか,そのことをもう一度考え直すべきだ」とのこと.

 老大家のこれまでの功績は認めるが,このご意見,なんとも了見の狭い話ではある(^^;).この意見に限らず現在図書館業界では,かのNPOを「偽善」とか「でっちあげ」とか,いささか不穏当な言葉で形容するのが流行らしいが,ちょっと立ち止まって考えてみよう.図書館は,図書館業界人はそれほどまでに高潔だとでも言うのだろうか?

 「業者」がNPOを立ち上げるのが「偽善」だというのであれば,書店に「装備込み定価で納入」(図書館でやるべき目録作成やバーコード貼付・ブッカー貼りまでを,書籍を納入する書店にやらせて,書籍の定価のみで納品させる)させたり,「ウン%の分戻し」(定価で購入したあとで支払い価格のウン%を現物などで還付してもらう)をしてもらったりしているのは,図書館による業者からの搾取そのものではないか.搾取の構造には口をぬぐっておいて,ある NPOを「業者が立ち上げた」故に非難するとは,正直,開いた嘴がふさがらない(^^;).こちらのほうがよっぽど「偽善」であろう.図書館業界人の傲慢ここにきわまれり,と言われても仕方が無いような気がするが.

 さて,「図書館の商業化」であるが,むしろそれは図書館業界の内部から立ち現れているような気がする.その典型が,あるKlanの主張する「要求論」選書論であろう.これは,実のところ新しく開館した当初の公共図書館や,利用の少ない公共図書館の経営を立て直す際,如何にして利用者を呼び込むか,という図書館経営論であり,その限りにおいて決して誤りではないし,評価に値する.

 しかし,これを長期的な展望に立った経営指針としての「選書論」として見た場合は問題があるのではないか.このKlanの主張する「要求論」に依拠した過度の利用者への依存が,「資料」としての本を図書館から排除し,「消費財」としての本のみによる図書館を生み出す元凶となっているのではないかと考えられる.資料の利用を統計的にマスで捉え,利用の無い資料を「利用が無い」という理由で排除する,要するに「市場の論理」そのものの手法が,結果的に選書における図書館司書の主体性の放棄をもたらしているのだろう.そこに「読まれる本」を効果的に配本するシステムが成立する余地があるわけだし,「消費財」としての本による蔵書の構築は,理由はどうあれ「図書館の商業化」そのものであろう.

 それにしても気になるのは,僕の見るところ,今や「要求論」選書論が反知性主義や全体主義と隣り合わせになってしまっていることだろうか.「資料」としての本の否定は反知性主義そのものであり,Klanが反論を許さずに排除する手法は「目的は手段を神聖にする」とでも考えているのか,手段を選んでいない感があり,全体主義の常套手段と僕の眼には映る.現在のところ,こと選書論についてクリエイティヴな視点と立場で発言をすることすら難しい状況があるというのは,徐々に改善されてきているとはいえ,Klanの強大な権威の影響を感じないわけにはいかない.

« 日常(2006年6月22日) | トップページ | 日常(2006年6月24日) »

図書館」カテゴリの記事

コメント

価値論と要求論の議論は本当に難しいと思っています。時代的背景の中で評価することも大切だし、それに流れてしまうこともどうかなと思うし。

G.C.W. さんの指摘はもっともだと思うのですが、だったらこれからどうしたいのかが見えない。確かに浦安図書館的な取り組みもひとつだと思いますが、どうも決定打とは思えない。

さらに根本、糸賀氏ら研究者の議論も現場のフィット感がない。

図問研の提案も、課題整理までできたようだが、提案にまでいたっていないようだ。

さて、図書館はどう向かうのでしょうかね。

>>matsuさん

 いつも懇切なコメント,ありがとうございます.

 そうなんです,僕にも具体的な公共図書館の今後の姿は,未だ見えてないんです,正直なところ.映画「ロレンツォのオイル」に出て来る公共図書館がひとつの理想なのですが,あれを的確な言葉にするのは,僕には難しいです.例の文部科学省から出た「これからの図書館像」に拠ることによって,斯様な公共図書館が可能になれば,地域住民にとっての幸いなのですが.

 地方分権ということで,中央(必ずしも「行政府」という意味では無いです)から発せられた政策文書に依拠しながらも,その土地柄に合った公共図書館を構築する,というのも考えてはいるのですが,具体的な手段となると一般論しか思い浮かばないのが,まだまだ勉強不足というところです.

イギリスのこれからの図書館のあり方についての翻訳本が出ています。英文でもネット上にありました。必要なら職場にアドレスがありますから紹介しますが。

それによると、イギリスでの挑戦はいかに市民に現実的に受け入れられるものにするかということです。ある面では貸出至上主義に通じるものがありました。

一方、「図書館の学校」で筑波大学の石川氏は、そろそろもう新しい図書館は要らない、専門的な調査研究ができる図書館があってもいいのでは、と予想しています。

イギリスではバリューフォーマネーで、効率が問われています。同時に、日本の戦後のように、識字率の低さが課題となっています。移民が多いこともその要因でしょう。

日本には中間形態に公民館があります。英米ともに図書館がその機能を有しています。複合施設としての有用性を模索する海外の図書館とそこが根本的違いでしょう。

さて、日本の図書館がどこに向かうのか、多分誰も予測できないでしょう。少なくとも向かうべき道が目先の「うけ」ではないはずです。


コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/38016/10659684

この記事へのトラックバック一覧です: 「図書館の商業化」に関する古い文章を再掲してみる:

« 日常(2006年6月22日) | トップページ | 日常(2006年6月24日) »

UNIQLOCK

ついった

「愚智提衡而立治之至也」のはてなブックマーク注目エントリー

「愚智提衡而立治之至也」のはてなブックマーク人気エントリー

あわせて読みたい

  • あわせて読みたい

只今積読中

ココログ図書館ネタ