狭くて蔵書パンク
岩手日報【狭くて蔵書パンク 市立一関図書館】
「民衆は生活の糧を得るのに教育を必要としない」(ギュスターヴ・フローベール『紋切型辞典』)というわけでもあるまいに.
要するに,この国には公共図書館にお金をかけるだけの歴史的,思想的な積み重ねが徹底的に欠けているという,その実例.「貸出至上主義」を奉じる連中なら,これでも可なんだろうか.
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コメント
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書庫不足はどこの図書館も共通の悩みと思います。倉庫なら何とか確保できるのですが、いつでも市民に提供できるように整理された書庫でないと意味がないですから。
私は最終的にはどれだけの蔵書が保管されているのかが図書館のグレードを決めると思っています。貸出至上主義的に考えると貸出ニーズの高い資料にシフトしたらいいわけで、あまり蔵書にこだわる必要がないことになります。
だからといって、私はG.C.Wさんほどには貸出至上主義批判にシフトしているわけでもありません。結局、この問題は自由主義か民主主義かの問題だと思うのです。
自由主義から考えると、図書館は権力からの自由を堅持し適切な資料を確保し保障することを意味します。これは価値論にもつながります。
しかし、民主主義的には主権者たる市民がどのような資料を欲するかです。現実的には市民の表面的要求は人気本です。これは要求論につながります。地方分権によってこの問題はとても複雑になっています。
少し引いて客観的に見ると、目先の要求ではなく、もっと深い市民ニーズを重視すべきなのでしょう。そういう意味からは貸出至上主義はあまりにも市民迎合主義であったようにも思えます。
これからの図書館の行方はとても大切な議論なのですが、どうもいい議論の土俵ができていない感じがあります。
投稿: matsu | 2006/06/09 23:41
>>matsu さん
いつも懇切なコメント感謝です.
実は,僕の勤務先もご他聞に漏れず書架・書庫が不足してまして,昭和時代の他大学の紀要は段ボール箱の中です(-_-;).この夏に耐震補強工事が入るのに合わせて書架の増築を要求してみましたが,オカミに却下されました.端末だけが増えるという有様です.
愚痴はともかく.
「議論の土俵」を作ろうという動きが無いわけではないのでしょうが.例えば「図書館界」の“《誌上討論》現代社会において公立図書館の果たすべき役割は何か”も,議論の土俵を作ろうという意図があるんだろうとは思いますが,如何せん問題提起も議事進行もお粗末(-_-;).「図書館界」編集長を擁する読書調査研究グループの我田引水が際立つ結果に終わっています.
僕は何処かで貸出至上主義の牙城である日図研読書調査研究グループの提示した公共図書館像を「伊藤モデル」と呼んだことがありますが,この「伊藤モデル」は公共図書館が初めて建設された街や,存在していても活動が不振だった公共図書館へのカンフル剤としては,効能があるんだろうと思ってます.
連中の最大の失敗は,「伊藤モデル」がある程度効果を挙げた公共図書館における「次の一手」を提示できずに,何処までも「伊藤モデル」を突き進めて行けば自ずと公共図書館が発展すると考えたところだろうと考えてます.これが,芋虫は脱皮して蝶になるけど,連中は巨大な芋虫を作ろうとした,と僕が批判するところです.
で,カンフル剤を打っても「公共図書館なんか要らない」というニーズ(!?)に対しては,「伊藤モデル」は有効な手立てを提示できない.「貸出し」以外のニーズに対して,何らかの思想や手段を持っているわけではないからです.
目先の「手段」に頼っているだけではダメなんだろうと思います.
投稿: G.C.W. | 2006/06/10 17:11