黛敏郎/涅槃交響曲
黛敏郎@涅槃交響曲/岩城宏之/NHK交響楽団(キング:KICC3023)
読売新聞【指揮者・岩城宏之氏が死去】【何度も病魔克服、岩城宏之さんの“棒ふり人生”に幕】
毎日新聞【訃報:岩城宏之さん73歳=指揮者】
産経新聞【指揮者の岩城宏之氏が死去 海外でも高い評価】
岩城宏之が大嫌いであった.それ以上の評価は訃報に譲る.
↑これだけじゃあんまりなので,もう少し書くようにとのお達しである.
岩城宏之の「ポーズ」を,随分前から胡散臭く感じていた.カラヤンを真似したとしか思えない指揮姿のポートレートなど,その最たるもの.15年ほど前に亡くなった音楽評論家兼指揮者の福永陽一郎が,その文章で岩城を「小澤征爾N響追い落とし」の影の主役だと暗に指摘していたのを読んで,ますます嫌いになり,そのまま今日までその印象を持ち続けている.
確かに,この「涅槃交響曲」のような作品を,岩城が機会あるごとに振って普及に努めた結果,今では日本の名曲として認知されるに至ったことなど,功績は認めるが,「人間としてはこれっぱかりの男だった」(北村銀太郎が六代目圓生を評した言葉)疑念は,今でもぬぐえない.
故人のファンには申し訳ないが,素直に岩城の死を悼む気持ちには,なれそうにもない.
ところで久し振りに,上で引いた福永陽一郎のことを思い出した.福永はその文章がそうだったように,誰彼の別無く正論を吐くタイプだったのか,その死後は(福永が関わった人たちの間ではともかく)急速に忘れ去られていったような気がする.確か,ブルックナーがダメ,ムラヴィンスキーがダメ,何処までも理詰めで評論するタイプ.評論家としては宇野功芳と対照的なキャラクターで,このふたりが「音楽現代」か何かでフルトヴェングラーについて対談したものを読んだときは,いささかコワいものがあったっけ(^^;).
どうやったら福永陽一郎の書いたものを,いま読めるかな?
« 日常(2006年6月13日) | トップページ | 誰のために »
「今日のBGM」カテゴリの記事
- 「わかりやすさ」とは(2010.07.06)
- 玲瓏な(2010.07.04)
- アマデウスの影(2010.06.30)
- 心を音に載せるテクニック・・・・・・(2010.06.29)
- インテルメッツォ(2010.06.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント