「貸出至上主義」今回の取り敢えずのまとめ
matsuさんがこちらのコメントで「貸出至上主義者の前川氏のみならずそれ以上に伊藤氏にはそもそもイデオロギーはなかったと思います。」と手厳しい指摘をされています.僕の考えはそこまで手厳しくはありませんで(^^;).1970年代以降公共図書館業界を煽動してきた指導者たちには,政治や社会に対して教条的(もしくは教科書的)なイデオロギー(マルクス・レーニン主義とかスターリニズムとか,その手のもの)は持ち合わせていたけど,それを実現・実行するための戦略を組み立てるだけの力量が欠けていた,と考えてます.短期的な戦術を作成する術は持ち合わせていた(その具体的な戦術文書が『市民の図書館』であり,戦術を実行するための指南役が伊藤昭治を中心とする日本図書館研究会読書調査グループであったわけです)ものの,長期的展望に立った戦略/グラウンドデザインは持ち合わせていなかったし,ましてや戦略を構築するだけの知恵も度量も彼らが持ち得なかったことが,現在の公共図書館を廻る言説のダメダメさを招いているのですね.
第二次大戦後の日本の公共図書館史における図書館運動の指導的イデオローグとして,業界の主流派からは「連綿と精神が受け継がれてきたもの」として捉えられがちな『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート,1963年初版)から『市民の図書館』(1970年初版)への間,そして『市民の図書館』から「貸出至上主義」の煽動者であった日本図書館研究会読書調査研究グループ(1980年ごろからそれらしい論文が「図書館界」に散見されるが,恐らく画期は「公立図書館における大規模開架と貸出図書の分析」[「図書館界」35巻4号(1983年)]あたりか)への間には,必ずしも前者から後者へ継承されたものばかりがあったわけではないのだろうと,僕は今のところ考えてます.
断絶の最たるものは,何と言っても『市民の図書館』におけるレファレンス・サービスの不在と「貸出」の目的化です.貸出数を増やすことが公共図書館発展の最も手っ取り早い方策だったことは【図書館屋の雑記帳】さんご指摘の通りですが,『市民の図書館』以来の「貸出」の目的化が最終的には「貸出至上主義」として「貸出」の神聖視もしくは宗教化にまで至った原因は,やはり『市民の図書館』がその主張の中に内包していたものであり,この「断絶」に問題があったと考えられます.
その断絶をもたらした根底にあるのは,「多数派のための公共図書館」というコンセプトであり,多数の住民の支持を得るための意図的な選択(現在ではそれが「当然の選択」の如く前川恒雄は『図書館の発見』新版で語りますが)だったと思われる「反知性主義」であり,専門職制の根拠として図書館原理主義者(≒貸出至上主義者)が挙げた「人治主義」であり,公共図書館発展のための「予算獲得」という使命だったのでしょう.
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