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「貸出至上主義者」度チェックβ版

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2006/05/08

「過去」は懐かしむためにあるものではありません

 【図書館屋の雑記帳:貸出と図書館 続き

 正直なところ,ホントに噛み合ってません,話が(-_-;).こちらは公共図書館における政策に対するイデオローグの功罪を問題にしているのに,あちらは性急に議論を解体-再構築してイデオローグを免罪もしくはその存在自体を抹消してしまうことを目論んでいるわけですから.このズレがある以上,政策論争はおろか,「丁寧な分析」など望むべくもない,と僕は考えます.

 何と言ったらいいのか,戦後日本の公共図書館史における「イデオローグ」に対する歴史的認識の欠落には驚かされます.【図書館屋の雑記帳】さんが主張していることは,煎じ詰めれば貸出至上主義のイデオローグたる前川恒雄や伊藤昭治が何を主張しようが,それを真に受けなかった公共図書館がある以上,貸出至上主義は無罪,ということです.それは「アドルフ・ヒトラーに対してマルティン・ニーメラーやカール・アマデウス・ハルトマンがいたから第三帝国は無罪である」と言っているのに等しいのですが.こんな馬鹿な話は無いでしょう(^^;).

 また,僕を薬袋教授とひとし並みに扱っていただいたのは汗顔の至りですが,ある自治体なり団体なりがある時点において採用したイデオロギー,政策あるいは判断に対して,その経過と結果を論じないのは,公共図書館と自らの無謬性を信じて已まない図問研ならまだしも,僕らのレベルにおいては,採用されたイデオロギーや政策,判断に対して失礼と言うものです.経過と結果に対する不断の議論を通じて,政策は鍛えられていくのではありませんか.そして結果が失敗であったら,その政策を採用した自治体なり団体なり個人なりは批判を甘受すべきでしょう.

 ましてやそれが日本図書館協会という日本の図書館業界を代表するナショナルセンターであったり,日本図書館研究会や図書館問題研究会という業界を代表するイデオローグを擁する団体のことであれば,なおさらのことでしょう.これがmatsuさんのコメントにある


貸出至上主義をしっかり総括する
ということではないかと,愚考しております.イデオロギーや政策の評価において,「過去」は懐かしむためにあるものではありません.

 僕は「草の根が正しかったから時代を煽動したイデオロギーは免罪できる」と考えるほど,歴史に対して甘い考えは抱いていない,そのことは明確にしておきます.取り敢えず.

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コメント

 ああいう,歴史的経緯を「無かったこと」にしてしまおうとする姿勢を形容する,ぴったりな言葉が思い出せず往生しました(^^;)が,思い出しましたよ.

「修正主義」

ですね(^^;).

貸出至上主義者の前川氏のみならずそれ以上に伊藤氏にはそもそもイデオロギーはなかったと思います。
竹下内閣での、ふるさと創生の1億円ではないですが、バブル期には金があまり何か国民にうける事業を探していたと思います。それにぴったり図書館がはまった、という構図でしょう。

国民(市民)のニーズが一番わかりやすいものとして貸出数の急増があったわけで、戦後民主主義をどう構築するのか、そのために図書館はどんな役割を果たしたらいいのか、なんて発想は微塵もなかった。

ベストセラー、人気本をいっぱいそろえれば貸出数は増えるわけで、どんな本を選書するのが社会的課題かなんて発想はなかったわけですから。

選書の価値論、要求論を論じる時点で少しでもイデオロギーがあれば展開は変わったのではないでしょうか。価値論が図書館司書の自己満足、自己存在の擁護でしかなかったというのは、言いすぎでしょうか。

財政状況が厳しくなった今日的状況下で、貸出至上主義はもはや過去の遺物であることは明白です。ただ、私は前川氏の主張は、まだ当時の社会的状況にあって、市民にまず読書の習慣をという意味では意味があったと思っています。

現下の図書館を巡る状況は、まず人件費を削り、次には資料費を削るということでしょう。図書館の人(司書)にどれだけの存在価値があるのか、次には無料貸本屋がどれだけの社会的価値があるのか、問われてきているのです。

情報公開が民主主義の基盤として認識されてきたように、図書館の政治的課題に背を向けては、図書館の復権はないと思います。

図書館原理主義者=図書館優越論者に「図書館の自由」の本来的価値・意義が認識されていなかったのではないか、と思ったりしています。

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