森有礼,銀座煉瓦街に図書館を開く?に至る前史(その3)
間が随分空いてしまいました.ご容赦くださいm(_)m
(承前)
森有礼に対するピーター・クーパーの回答では,クーパー学院の「第十年次報告」が引用されている.クーパー学院の基本理念とそれを具体化した方策が語られる中で,図書館はその最後の箇所で触れられている(以下のクーパーの引用は尾形裕康訳による).
この引用の数行後にある,クーパーによる長大なセンテンスの文章からも一部を引く.
「この学校で行われる訓練を受けた後では,各自は目と耳を通して知識を血肉化しうる用意が出来ております.従って,本や新聞,雑誌,講座等を媒介としてより高度に進歩していけるのです.
クーパー・ユニオンの読書室と図書館は,この要求に応ずるように設計されたもので,昨年中に,その前の年より三千六百六十一人の増加である,二十一万九百十五人の閲覧者がその特典を利用しました.そこはすべての人に開放してあり,切符も紹介も必要でなく,室内で整頓と態度にさえ気をつければ,午前八時から午後十時まで誰でも利用出来るものであります.」
引き写していて,思わず溜め息が出るような文章ではないか(^^;).その後の森による銀座煉瓦街図書館の構想は,このクーパーの回答に多くを負っているのではないかと推定したくなる.
「このように自分たちの労働によって生きようとするすべての人を,(中略)思想を刺激し知識の獲得を促進する無料の図書館によって,(中略)ニュー・ヨークの機械工及び産業階層は,財産と幸運な機会に恵まれた富者のみが持ち得る有利さをもっているのです.」
もっとも,書物奉行さんの「書籍院会社,って library company ですねo(^-^)o」という鋭いコメントが示唆しているように,森が『フランクリン自伝』も何処かで読んでいた可能性というのも考えてはいるが,今のところその証拠は掴んでいない.森の蔵書は,銀座煉瓦街図書館頓挫後に方針転換された商法講習所設立のための資金源として(?)明治8年に明治政府に売却されたものがあり(注1),また森の暗殺後子爵家を継いだ嗣子森清によって明治22年に上野図書館に委託され,後に森家に返還されたらしいものの残存分と思われる書籍があり,国立国会図書館と内閣文庫(国立公文書館)にあるらしい(注2)が,現在のところ『フランクリン自伝』は確認できないようだ.なお,明治時代の日本において『フランクリン自伝』のブームが起きるのは,佐伯彰一に拠れば(注3)明治中期以降のことである.
そりゃ『フランクリン自伝』を読まずとも,USAに長期にわたって駐在していればlibrary companyに気がつくのかもしれない.しかし,どちらかと言えば頭でっかちな秀才タイプだったと思われる森のことなので,むしろ実生活よりも文献からlibrary companyのあり方を知った可能性のほうが大きいのではないかと,こちらが勝手に思い込んでいるわけである(^^;).
ともあれ,USAにおける図書館の実態について,その詳細を知ることが出来る立場にいた森は,実際に日本に大図書館を建設するための方策を,USAに駐在しているときからいろいろ考え出すのである.
(本日時間切れにつき,次回に続く)
注1:中川隆「商法講習所の創設と森有礼」 亜細亜大学教養部紀要35(1987),12-13頁
注2:中林隆明「森有礼旧蔵の洋書について(仮リスト)」 参考書誌研究38(1990),50-52頁
注3:佐伯彰一『近代日本の自伝』中央公論社(中公文庫) 1990年8月初版,230頁
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