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2006/02/05

人生の夕映え

 これは確か,音楽評論家の三浦淳史が書いていたことだったと思うのだけど,UKには晩年を迎えた演奏家の奏でる音楽に対して「人生の夕映え」という,洒落た言い回しで最大限の賛辞を贈るのだという.「人生の夕映え」を体現した見事な演奏を残したのが指揮者のジョン・バルビローリである.

 さて,新版『図書館の発見』(前川恒雄,石井敦著/NHKブックス1050/日本放送出版協会/2006年1月初版/本体920円)である.この書は,本来なら図書館業界において「人生の夕映え」を見事に体現しているべきひとりの老大家(注1)が「やむにやまれぬ気持ち」(6頁,以下引用は断りの無い限り同書から)から老躯を押して執筆した書籍で,旧著『図書館の発見』初版(前川恒雄,石井敦著/NHKブックス194/日本放送出版協会/1973年10月初版)を全面的に改稿したものとなっている.

 結論から言ってしまえば,新版は初版を越えられない.それどころか,初版にはあった瑞々しい精神の有様(「素朴なものを信じて美しく生きた人の話」)はすっかり消えうせてしまい,公共図書館に対する宗教的な信念,党派的な発言,そして自説への妄執がそれに取って代わった.ここにあるのは「素朴なものを信じて美しく生きた人」がその信じたもの故に挫折し敗北し,老残の身を晒しながらもなお,自らの信じるところを説いて止まない「預言者」の姿である.

 あわてて断っておくのだけど,読了してこの書籍を僕は,前川の学統を受け継いだと主張する,公共図書館業界に害毒を流し続ける凡百のプロパガンダティストどもの言辞と同列に論じようとは思わない.鼠輩の読むに堪えないプロパガンダやデマゴギーと同列視して貶めるには,新版『図書館の発見』は少々勿体無い箇所を残しているのも事実だからである.

 前置きが少々長くなったが以下,本論に入る.

図書館の発見
前川 恒雄著 / 石井 敦著
日本放送出版協会 (2006.1)
通常24時間以内に発送します。

 新版『図書館の発見』を特徴付ける3つの志向として,先ほども挙げた宗教的な信念,党派的な発言,そして自説への妄執を指摘しておく.
 「宗教的な信念」とは,公共図書館および書籍を物神化し,読書(もしくはその背景としての教養主義)を絶対善とし無謬なものとする姿勢を指す.例えば,次のような箇所.


「図書館へ入ったとき,誰でも,本に囲まれた空間のすがすがしい空気に,背筋の伸びる思いがするのではないだろうか」(14頁)
僕はこの箇所まで読み進んで,思わず本を放り出して読むのをやめようかと思ったくらい恥ずかしかったことを告白する.ここにあるのは,もはや読書を絶対的な「善」とし,その価値を煽動する宗教指導者の姿に他ならない.
 あまりにも「人」に寄りかかりすぎている司書への評価にしても,同様である.前川の言(105頁以降)に従えば,目録も分類もインターネットも知らなくても,専門職としての「図書館司書」は成立し,務まるかの如きに読める.ここに見られる技術の軽視は,まるで公共図書館はシャーマニズムかアミニズムに支えられているかのように思わせるものだ.

 「党派的な発言」は新版『図書館の発見』のいたるところに散りばめられていて枚挙に暇が無い.例えば,浦安市立図書館に1箇所しか言及しない不思議.実は間違いなく浦安市立図書館を批判している箇所が3つばかりあるが前川(およびその学統を継ぐと自負する連中)の常として名指しせず.この浦安の無視は,前川自身の息がかかった連中への高評価および好意的な言及と表裏一体である.自説に賛同するものの発言は書誌事項も上げて引用するのに,自説への反論については書誌事項はおろか,誰がどのように発言したかを明示せず恣意的なまとめで済ませるため,前川への反論を検証する(本当は誰が何をどのように発言しているのか,を確かめる)ことが出来ないのは明らかに本書の不備.それにしても,いたいけな初心者なら騙せようが,僕のようなすれっからしの眼をごまかせるとでも思っているのか.
 以上のことは,前川の学統を受け継いだと称する連中も同様の行為を繰り返しているわけだが,ここに僕は先日,この書評の前振りで指摘した「批評の欠如」を繰り返し指摘しないわけにはいかない.それは,外部からの反論による批評を回避し自らを正当化する衝動(無意識の?)が働いているのみならず,内部にさえ「批評」を持たぬ彼らの言動が安直なプロパガンダに陥っていることの一因でもある.本来,プロパガンダを厳しく戒めるべき立場にある前川が,プロパガンダに堕していると言われても仕方が無い手法で反論を非難するのでは,公共図書館業界に「批評」が成立する余地など存在するはずが無い.

 そして「自説への妄執」.これも本書のあちこちに見られる.『市民の図書館』への身贔屓としか言い様の無い高評価(174頁,188頁)もそうだが,今もってなお公共図書館のサービスの中心として,図書館司書の専門職としての拠り所として「貸出し」に固執するのは,もはや何とも言い様が無い.「図書館思想の転換期における図書館状況とさまざま歴史的事象について目をつぶること」(189頁)により現状を批判しているのは前川さん,あんただろうと半畳のひとつも入れたくなる.

 ついでに付け足しておけば,初版でも誤っていた馬場辰猪のことは,新版でもそのまま(123頁).歴史を軽視しているのは誰だ.さらに図書館学として見逃せないのは「MARK」(181頁).このあたりにも,前川の周囲には「批評」が存在しないことをうかがわせる.
 それから次の箇所.


「電子媒体にせよ,外部データベースにせよ,検索の幅は広がっているが,利用者は図書によって調べる人のほうが多い.」(64頁)
前川が何によってこのように述べているのか詳らかにしないが,僕の実感から言えば,この部分は誤りに近い.誤解を恐れずに言えば,電子媒体よりも書籍を調べものに用立てるのは,ある一定水準以上の知性と教養を身に付けている人である.それに欠ける人間は,電子媒体で安直に調べた内容をコピー&ペーストして用立てている.そして,書籍を用立てるだけの知性と教養を高校までに身に付けられなくても大学を卒業できるのが現状なのである.前川の判断は希望的に過ぎよう.

 漏れ聞くところによれば,『図書館の発見』初版を読んで図書館員を志した方は結構な数存在するらしい.啓蒙書たる初版を読み初志を貫徹したひとが,宗教書たる新版を読んでの感想はどんなものなんだろうか.僕は今,それが知りたい.

注1:新版が前川恒雄の単独著作であることは,当人が前書き(6頁)で断っている.

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コメント

G.C.W.さん直球できましたね(^-^*)
「反知性主義」はわちきのほうがG.C.W.さんからパクった気も…(^-^;)
「初版を読んだ時はホント感動したんだよ」とは批判されたある人の弁。「これを読んだら○○さん(純真な現場図書館員)はどう思うだろうか(読ませたくないなぁ)」とは別の人の弁。
昭和時代がなつかしい。オトナ帝国の逆襲。永遠の昭和時代…

>>書物奉行さん

 コメントありがとうございます.
 僕は自由に使える文体が限られているので,どうしてもど真ん中へ投げちゃうんですよね(^^;).で,結果相手を怒らせております.
 初版は先日初めて読んだわけですが,僕のようなすれっからしにも充分訴えるものがあったわけで,初版を絶版にして新版のみにするのは出版社の戦略としても拙いんじゃないかと(^^;)思わざるを得ないほど,新版は前川が自説を主張すればするほど,ダメな方へダメな方へと書き換えられていますね.
 4000の図書館が2000冊の本を買えば,という件り(23頁)くらいですか,これからいい方向で使える箇所は.これは確か前川の『われらの図書館』でも言われていたことだったと記憶してますが,この部分こそ,実は前川の理論と日本図書館研究会読書調査研究グループのそれが齟齬を来たしているところだとは,複数の知人が異口同音に指摘しているところでもありました.

昔,読んだマンガを思い出します。
マージャン好きの男がありました。
子どもにマージャンを教えて,あわよくば
プロのマージャン打ちに育てよう,と。
…男の子が4人生まれました。…
ところがマージャンの極意を教えようと思っても子どもは子どもだけ4人でマージャンに打ち興じ,ひとつも上達しません。
親父は頭をかきむしって悔しがりましたとさ。
子どもを3人にしておけばよかった???

>>巌本康治さん

 コメントありがとうございます.大いに笑わせていただきました(^^;).

 何時の世も,「父親」は子供にとってだんだんと疎ましくなり,乗り越えられるべき存在のようですね.たまたま新版『図書館の発見』の前に『丸山真男の時代』(竹内洋著/中公新書)を読む機会がありましたが,現代政治論・日本思想史における丸山の立場と,公共図書館運動における前川の立ち位置は似たようなところがあると思います.

 もっとも,生憎僕は前川の「子供」的な立場にありません(^^;).前川の「子供」たちの新版『図書館の発見』への書評が是非読みたいところです.

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 色々ありすぎて、ブログの更新まで手が回らず。なんだかなあ。  前川恒雄・石井敦『図書館の発見 新版』(日本放送出版協会, 2006)は、なんともコメントが難しい。  とりあえず、 書物蔵(しょもつぐら): 前川氏はふつうの人だった… http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060126/p1 と 愚智提衡而立治之至也: 人生の夕映え http://juroso... [続きを読む]

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