公共図書館は無謬なのですか?
毎日新聞【支局長からの手紙:図書館の旗を3 /滋賀】
doraさんが警告とともに紹介していたこの記事ですが,doraさんの警告は理解できるものの,僕にはこの記事における以下の部分がどうにもよくわかりません.長い引用ですがご勘弁を.
図書館は自治づくりの場であり、民主主義の拠点であるという確信があるからです。
その上で、経費削減を目的に図書館の運営を民間に委託する「指定管理者制度」の導入の動きに危機感を露(あらわ)にしました。「官から民」への大合唱の下、中身の議論、検証がないまま制度導入が図られようとしていると訴えました。このままでは地道な努力で積み上げられてきた「図書館立県」が崩壊しかねないと指摘しました。
野澤さんによると、全国でも屈指とされる湖国の図書館の特徴はネットワークの素晴らしさにあります。県立図書館が図書資料などを充実させて地域の図書館の活動をバックアップするとともに、司書たちの研修会を活発に行って人づくりをしてきた結果です。
長年の実践の積み重ねで培ったノウハウ、人と人とのつながりが財産ですが、経済効率を優先させる指定管理者制度の下では「企業秘密」を守ってせっかくの財産は継承されないというのです。
僕はアイザイア・バーリンが提唱する「多元的民主制」を信奉する人間ですが,「民主主義の拠点」がただひとつの方法でのみ運営されなければならない必然性が理解できません.民主制の根幹が「問いを発すること」であるなら,ただひとつの方法以外を拒絶するその主張は,「何故公共図書館は公営でなければならないのか」という疑問の否定であり,まさに「問い」の抑圧に他ならないと考えます.
また,「指定管理者制度の下では「企業秘密」を守って」云々とあります.これは指定管理者制度に反対する最近の業界関係者の常套句でもありますが,以前業務委託について「公務員の守秘義務」を盾に反対していたのは,何処の誰ですか(^^;).個人情報保護法制が整備されて守秘義務を錦の御旗に出来なくなった公務員による,あまりにもご都合主義な「ためにする議論」だとしか受け取れません.
そしてそれとともに,この箇所からは公務員による強烈な民業蔑視のまなざしを読み取ります.「公共図書館ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」という,公務員以外に公共図書館の運営は出来るわけが無いとするまなざし.ここで重要なのは,まなざしの主体は公務員であり「図書館司書」じゃない,ということです.
それよりも,そもそも公共図書館の業務に,指定管理者が企業秘密にしなければならないほどのノウハウがありますか.なるほど「職人芸」的な意味での技術は幾つかありますが,これまでに企業秘密≒売ると利益になるほどの技術が存在するのであれば,とっくの昔に図書館司書は専門職としての法的根拠と給与体系を獲得しているでしょう(^^;).そもそも指定管理者制度云々という議論が存在する余地が無いほどの,ね.
むしろ,業界に無関係な市民の見る公共図書館に対する印象の現状が「県立図書館が図書資料などを充実させて地域の図書館の活動をバックアップするとともに、司書たちの研修会を活発に行って人づくりをしてきた結果」であることに,業界関係者はもう少し考えを廻らせるべきだと思うのですよ.
常に公共図書館は正しいことをしてきたのか,と.指定管理者を廻る議論を「(これまでの)公共図書館業界は無謬である」というところから出発させたのでは,これはそもそも議論が成立しません.「問い」を発することを禁じられているわけですから(^^;).
これから図書館業界がしなければならないことのひとつは,『市民の図書館』に代表される,これまで権威となってきたモノの解体再構築(deconstruction)です.「滋賀県の公共図書館業界」もまた,自ら好むと好まざると業界における「権威」として機能している以上,「ネットワークの素晴らしさ」という曖昧な根拠に基づく指定管理者制度批判ではなく,民主制の根幹を支えることが出来る,「問い」を触発するような優れた批判を提示する必要があるでしょう.
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