ダメな図書館目録の例:補遺その3
(承前)
もちろん,書誌コントロールへの取組みというのは必要なことです.国立国会図書館がJPMARCとは別途にOPACとして提供している〈総合目録ネットワーク〉なるモノがありますが,これが「総合目録」と呼ぶことをいささか憚りたくなるような代物であるところを見ても,書誌コントロールが大切であることはご理解いただけると思います.
ここで問題になってくるのは,どのような目的で,最低限守るべき基準を何処においてコントロールするのか,ということですね.
その方向性は2通り,即ち「精緻化」もしくは「概略化」,の二者択一なんじゃないでしょうか.で,得てして図書館員の方向は「精緻化」に傾きます(^^;).ruckさんがそのコメントで指摘した「先端的な図書館目録の考え方というのは(IFLAの「〜機能要件」も含めて)、図書館利用のためではなく、世の中にある資料という資料の全容を把握したい、という誇大な欲求」というのは,古くはライプニッツ以来,目録を作成する図書館員の多くが抱いている密かな野望じゃないかと思います.G.C.W.氏にもその傾向があることは否定しませんし.それゆえ,Dublin Core(メタデータの目録法みたいなもの.参考)の15エレメントじゃ図書館目録にならない,と図書館関係者が主張して,より精緻なエレメントの仕様を図書館のために作ったらしい,と聞きます.
しかし,精緻化の方向はその方法論や様式を理解できる人材がどうしても限られることになり,そのためデータを作成する人材の育成と作成された目録データの品質を維持するために多大な労力が必要になってきます.実際,NIIは人材の作成にわりかし熱心で(NII:教育研修事業)G.C.W.氏もその恩恵に浴したひとりですが,それでも『萌える法律読本:ディジタル時代の著作権』のような目録データが作成されることを食い止めることが出来ない状況があるわけです.これは大学図書館の目録担当者における「目録の思想」が根本的に食い違ってきているとしか考えられず,「目録の思想」を一元化するのはNIIを以ってしても大変なことではありますまいか.
多元主義的な民主制を奉じるG.C.W.氏としても,技法の一元化とその水準の維持により,ある程度目録の品質が維持できるのであれば,それが大変望ましいことなのですが,それがままならないとなれば,さてどうしたものでしょうか.
以上,3日間延々と目録について騙って来ましたが,誰かさんの指摘を待つまでも無く(^^;)G.C.W.氏の経験と見聞は偏ったものですので,事実誤認や無知から来る誤解もあると思います.そーゆう箇所は遠慮なく(ただし人格否定はご容赦ください(^^;))ご指摘くださいませ.
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