再録:紅旗征戎非吾事2002年3月21日の記事から
読書日記さん【2005年度日本図書館情報学会春季研究集会】経由で,2005年度日本図書館情報学会春季研究集会にて〈「選書ツアー」はなぜ批判されたのか ~論争の分析を通して~〉(安井一徳)という発表がなされたことを知る.
同じようなことを考えていたひとがいたことを知ると,ウレシクなっちゃいますね(^^;).しかも,きちんと学術的に検証していただけるとは.
G.C.W.氏も2002年3月21日に,「みんなの図書館」2002年4月号への感想で同じような疑問をhtml時代のおぼえがき〈紅旗征戎非吾事〉に書きました.それは本家サイト〈重楼疏堂〉の整理を思い立った時に削除したまま,再UPしてません.しまった(^^;).
取り敢えず,以下にその箇所を再録しておきます.
「みんなの図書館」4月号(No.300)は〈特集:東京の図書館の危機〉.やっぱり共感できない.2度ばかり東京の図書館に依頼したレファレンスが上手くいかなかったという個人的な事情も背景にあるけど,〈図書館〉の存在と価値は,彼らが考えているような形で〈自明〉のことなのかなあ? 収録された文章のところどころに見える「図書館原理主義」的ヒロイズムな表現も,図書館運動に無関係な読み手が辟易するだけだろうに.憤怒はもっともだが,ここに見られる発想で,例えば「図書館は要らないというニーズ」に立ち向かうことが出来るかどうかは,G.C.W.氏には少々不安がある.正直なところ「要求論」で図書館の存在価値を認知させるのは,右肩上りの高度成長時代ならともかく,現在のデフレ不況下では限界があるのではないかな?もうひとつ,「選書ツアー」についての文章があるのだが,これも何だかなあ,という感じがする.リクエスト制度と比較して選書ツアーの間口の狭さを批判し,選書ツアーで参加者が選んだ書籍を図書館が蔵書として採用しなければ参加者の「知る権利」(G.C.W.氏は考えるところがあり「知る自由」という表現は採用しない)を侵害することになるので選書ツアーは成立しない,と批判しているのだが,G.C.W.氏にはよく理解できない.「知る権利」を最も担保している公共施設が図書館であることは確かだが,顧客が「知る権利」を確保する方法は図書館以外にもあるのだから.あまり図書館を過大評価するものではない.また,選書ツアーが司書不要論につながることを危惧して,選書ツアーが「図書館職員の専門的な力量や職業倫理の低い図書館で広がる危険性があり」(p38)などと述べているが,何を考えているんだろうか,この筆者は? そもそも「選書」が図書館員の専門的業務から外される遠因を作っているのは,図問研の多数派が信仰している某氏の「理論」であり,選書ツアーはその「理論」の到達点のひとつだとG.C.W.氏は捉えているので,もし選書ツアーによって「専門性」が崩壊するというのであれば,つまりそれは自ら選んだ「理論」によって自壊しただけに過ぎないのではないのか?
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