メモ
【図書館がなかったら今の私は無かった:SEEDS ON WHITESNOW】
とてもいい文章なので公共図書館関係者は是非ご一読ください.「裏にお得意業者がいて、彼らの言われるままにサービス拡充しているような気がしたり。」など耳の痛い箇所もあります(^^;).G.C.W.氏はこの文章を読んで,忘れていた何かを思い出したような気がします.
【「山梨県公共図書館協会報」No.23:基調講演「21世紀の図書館の可能性」】
おなじみ,ひつじ書房の松本功さんによる講演の記録.これだけわかりやすく,普通の言葉で図書館の価値を語ることが出来る,公共図書館プロパーがいったいどれだけいるかしらん? こちらもどうぞご一読を.
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» 図書館がなかったら今の私は無かった [SEEDS ON WHITESNOW]
他のブログで図書館が話題になっているのを見て、私の図書館に対する思いを文章にしたためています。 [続きを読む]
uchも「図書館がなかったら、今の私は無かった」のひとりだね。幸いにも。そして不幸にも。
図書館が(特に公共図書館が)、何をどこまで提供するか?についての議論はよく聞くけど、なぜ提供するか?については、もっと語られるべきなんだろうね。ステートメントとしても、問題提起としても。
利用者が「もうけもん!と思う」ことの是非を問う観点はuchには新鮮だったけど、図書館業界的にはどのように考えられているかしら。利用者が「もんけもん!」と思わない公共図書館って民主主義の社会では存在しにくいと思うけど。
投稿: uch | 2005/03/27 23:20
ご紹介頂き、本当にありがとうございます。
先の文章には記載していませんでしたけど、「もうけもん!」を更に越えた要素として、菅谷さんの文章には多くの方々の「寄付」の存在が強調されていたと思います。使うだけ使う、それでおしまいではなく、図書館等に代表される社会的なストックに基づいて培った自分の利潤を、社会的なストックとして還元する、そんな価値観が欧米ではある程度認識されているんでしょうね。
そのようなサイクルが望ましいものとしてある場合、これを維持するには図書館が社会的な価値を示し続けることが必要ですから、ニューヨークのような事例が出てくるのは、まあ当たり前なんでしょうね。日本では、図書館のサービス内容が評価に晒される機会は比較的少ないでしょうし。
まあ、図書館を巡る問題は、供給側の問題(どのような図書館が望ましいのか)と、需用者側の問題(望ましい図書館があったとしても、そのストックを有効活用できる利用者がどの程度居るのか)の2つがあるでしょう。菅谷さんは岩波新書にこの図書館本と、もう一つ「メディア・リテラシー」という本を書いていますが、まさに需用者側の問題は、リテラシーの問題として、考えることが出来ると思います。
その菅谷さんのメディア・リテラシーの考え方は、videonews.comでの神保哲生さんとの対談で知ることが出来るので、直リンクを張っておきます。
http://www.videonews.com/asx/interview/sugaya_300.asx
と長々しくなってしまいましたが、今後ともよろしくお願い致します。
あと、uchさん、よろしかったら当方のウェブログにもコメントしてくださいー。
投稿: 丸田てつや | 2005/03/28 13:15
コメントありがとうございます.お返事を書きたいのですが,どういうわけだか,どうにも上手くまとまりません.もうしばらくお待ちくださいますよう,お願いいたします.
取り急ぎコメントへの御礼まで.
投稿: G.C.W. | 2005/03/30 20:40