「図書館界」56巻6号
「図書館界」56巻6号(321号,2005年3月)が“《誌上討論》現代社会において公立図書館の果たすべき役割は何か”の第2回を掲載している.目次を見た当初はお笑いネタかとも思ったが(事実お笑いネタもあったが),意外に(失礼!)読ませる部分も多く,鞠すべき内容を含んでいる.
なお,第1回についてはG.C.W.氏も取り上げているので(1,2,3,4,5,6,7)そちらも参照していただければ幸い.
収録論文中,もっとも読ませるのは「全域サービスをどう推進するのか」(参納哲郎著)と「公共図書館の現場から」(永利和則著)の2本.実はどちらも,第1回の誌上討論とは直接関係の無い内容であるところが面白いというか,象徴的というか.特に永利氏の文章は,現状が誌上討論第1回で掲載された諸論文のような,ある意味「空中戦」とも思える論争にあまり意味が無いことを,淡々とした論調の中に現場から突きつけているかのようである.
それといささか驚いたのは「貸出サービス批判論への疑問」(田井郁久雄著).これまでの田井氏の文章に対し,G.C.W.氏はその論法における我田引水振りを繰り返し批判してきたが,今回の文章は実証的で読ませる内容の根本彰氏への批判になっている.ある方があるとき「田井氏は,本来もっと筆の立つヒトですよ」と言っていた意味が初めて理解できた(^^;).もっとも,G.C.W.氏は田井氏の歴史認識に必ずしも賛同するものではなく,現状の日図研なり図問研なりの状況を見れば,その影響力は田井氏が説明する以上のものがあったのではないか,という感をぬぐいきれない.それは日図研や図問研への過大評価なのだろうか.
伊藤昭治氏や馬場俊明氏の文章は,彼らのいつもの言の繰り返しなので特に触れる必要は無いだろう.馬場氏の文章は相変わらず理解に苦しむ内容で,よほどG.C.W.氏とは相性が悪いのか,今回も読み進めて行くうちに訳がわからなくなる.論敵が言ってもいないことを勝手に類推して論難する,その論法は何とかならないものか.
さて最後になったが,「『市民の図書館』をめぐる議論混迷の理由がわかった」(鈴木由美子著)は極めて悪質なプロパガンダである.文中,この誌上討論に対する「関東の図書館人の沈黙は異常だ」(p332)と述べるが,そもそも「図書館界」編集部の恣意は以前の「みんなの図書館」編集部ほどではないにせよ,誌上討論第1回における論点の提示の時点で明らかだったわけであり,糸賀雅児氏が最後まで書き渋ったように,考え方の異なる編集方針下の雑誌の特集に対して誰もがG.C.W.氏のように反応するわけではないのである(そもそも,自分の見聞がすべてだと思って鈴木氏は「関東の図書館人は」云々と書いたのだろうが,他は知らず,少なくとも当blogは7回にわたってこの「誌上討論」を前回取り上げている.鈴木氏にとって東北の図書館員は員数外か(^^;)?).今回の誌上討論における沈黙は異常でも何でもなく,むしろ何故「沈黙」を以ってこの特集が遇されたのかを考えることこそが,ここでは求められる姿勢であろう.
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