『瀧廉太郎』
『瀧廉太郎』(岩波新書新赤版921)(海老沢敏著/岩波書店/2004年11月初版/本体740円)読了.モーツァルト研究の第一人者である著者が,瀧廉太郎(1879-1903)の単なる伝記的事実の集成ではなく,その残された作品の解釈を通じて伝記的事実を照射したとでも言うべき書.満24歳になる前に死去した瀧廉太郎だが,芸術においては,「夭折」という事実にそれだけで下駄を履かせてしまうところがある.この書で著者は,それを避けることなく「夭折の美学」を〈長い間奏曲 夭折音楽家たちの世界〉という章を設けて謳い上げてしまう(^^;).潔いと言うか,何と言うか.
「夭折の美学」は,特に瀧廉太郎の絶筆となったピアノ曲〈憾〉(うらみ)への評価に明らかである.曰く「わずか六十四小節のこの小曲は単主題,そして単一動機で作り上げられた三部形式の楽曲の稀代の傑作というべきではなかろうか」(p34).評価の引き合いにモーツァルトの2曲のロンド(K485とK511)まで持ち出して見せる.この評言があたっているかどうかは,例えば小川典子が弾く〈憾〉(BIS:BIS-CD-854)を聴いて各々が確認していただきたい.
そして終章における,〈荒城月〉の編曲をめぐる山田耕筰への激烈かつ微妙な批判.この箇所,激烈なのはわかるのだが,いささか空回りしていないだろうか.G.C.W.氏には,まるで空虚な中心の周囲を堂々巡りしているだけの文言のように読めてしまう.山田耕筰の「編曲」が世に受け入れられてきたのは,純粋に音楽的な内容ばかりに根拠があるわけでもあるまいに,著者は敢えて純音楽の方へ話を引っ張ろうとしているかのようだ(それは話の「単純化」を意味していない.むしろ山田耕筰の音楽業界的,社会的な立場からこのことを説明しようとする方が,この場合は問題を単純化することにつながってしまうことは留意されるべき点であろう).
近代日本における西洋音楽受容,ということに関心があり,更に突っ込んだ視点を考えてみたい方にはお勧めできる本である.正直,新書だと思ってかかると歯が立たない.
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