「図書館界」56巻3号:その3
今日は糸賀雅児氏の〈「地域の情報拠点」への脱却が意味するもの〉を取り上げる.
のっけから「いまさらこんなテーマで議論している公共図書館の世界って何だろう」(p188)ときた(^^;).
総じて田井郁久雄氏の文章とは対極にある内容で,G.C.W.氏が言いたいことがほとんど書いてある(^^;).御題の筋が悪いことまで書いてある(^^;).レファレンス・サービスが,今もなお地方の公共図書館で顧客・図書館員の双方に必ずしも市民権を獲得し切れていない,という現状は,G.C.W.氏の知人友人からのレファレンス依頼でも明らかで,糸賀氏の「レファレンスや読書案内は(中略)浸透していない」(p190)という指摘は当を得ていると思う.『市民の図書館』が主張していた「貸出が十分行われることによって,レファレンスの要求が生まれ,拡大する」(p22)は残念ながら達成されていない.
それから,「多様化」(p193)という言葉が目を引く.『市民の図書館』を信奉する貸出至上主義者の中には,公共図書館は常に横並びで発展しなければならぬ,という強迫観念とも思える考え方に固執している人が少なくないように見受けられる.今回,田井氏の文章はその典型に読めた.「出る杭は打たれる」ということわざそのものの世界が,公共図書館業界にはびこってこなかっただろうか.
ひとつ,糸賀氏とG.C.W.氏の相違があるのは,「貸出の質」を巡る考え方について(189pあたり).『市民の図書館』を信奉するが故にファシズムに陥っている団体や個人もいる現状の公共図書館業界でここに踏み込むのは,ちょっと危険なのではと思う.それに「貸出の質」それ自体は顧客の選択であり,図書館側が分析し今後の活動の参考にすることはあっても,それを「線引き」(p189)の手段にするのは,やはり危険であろう.
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