「みんなの図書館」7月号
帰宅したら「みんなの図書館」7月号が届いていた.今号は〈図書館問題研究会第51回全国大会〉の重要課題討議掲載号.早速,重要課題討議を一読してみたが,公共図書館の存在そのものへの危機感がひしひしと伝わってくる文章ではあるものの,図問研的なバイアスがかかっていることは否めない.例えば,学校図書館との連携にはページが割かれているのに,大学図書館・専門図書館への言及が皆無に近い(レファレンス事例の蓄積例としてp12に出て来るくらい).これは図問研,あるいは図問研的な考え方が「利用者」に対して何を期待しているかを示すものと考えていいのだろうか.
何しろ,この重要討議課題の文中には「要求される書庫資料や予約をみると,刊行年が古いなど的が絞れていないことが多々ある」(p3)というちょっとこれはどうしたものか,と思っちゃう文章もあるくらいですからねえ.
資料を探すことにおいて重要なのは,その資料に何が書いてあるかであって,刊行年が古いか新しいかは問題ではないはず.まさか刊行年が新しいほど良質の資料だ,などという素朴な進歩史観を持っているとしたら,おおよそこの部分の執筆者は図書館員としての資質に欠けていると言わざるを得ない.例えば会津藩の幕末史を研究するための必須資料である『京都守護職始末』は1911(明治44)年に初版が出ているものだが(再編集された東洋文庫版が出版されたのさえ1965[昭和40]年),これを刊行年が古いという理由で切り捨てるのは歴史研究のイロハを知らない,大馬鹿者の所業である.大学で卒業研究も書いてないんじゃないだろうかというヒドイ邪推が一瞬,頭を掠めるほど,この部分を執筆した人物は文献調査という行為に対する理解が本質的に欠如していると思うが如何.
まあ,このような記述は,自分たちの主張に都合のよい「利用者」像のみを想定し,顧客におけるレファレンスへの要望を切り捨ててきた,これまでの図問研的な公共図書館観の帰結でもあるのだろう.今回の重要討議課題でも二言目には「知る自由」を連呼しておきながら,いざ顧客が「知る自由」を行使しようとすると「刊行年が古い」などと顧客の要求を排除するってのは,如何にもお役人らしい対応ではあるが,図書館員の本来のあり方としては少々いただけないはずじゃないのかな.
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