愚か者

あなたと同じ考えを持たないひとのこと.

フローベール『紋切型辞典』(岩波文庫)

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2008/07/23

バルトーク/絃楽四重奏曲第1番

バルトーク/絃楽四重奏曲第1番イ短調作品7・Sz.40@アルバン・ベルク四重奏団(EMI:3 60947 2)

 1983年から1986年にかけて録音された全集から.
 1907年ごろ,バルトークが民謡収集のフィールドワークを精力的に行っていたころの所産である.同時期の失恋も,特に第1楽章に反映されているらしい.3楽章からなるが,ラルゴ-アレグレット-アレグロ・ヴィヴァーチェという「序・破・急」のような構成をとるところが,もう独墺風じゃない(^^;).この作品によって,ベートーヴェンとシューベルト以来沈滞していたかに見えた絃楽四重奏曲というジャンルは息を吹き返し,バルトークの6曲からショスタコーヴィチまで命脈を伝えることになる.

 あまり始終聴くような作品ではないので,演奏について的確な評価を下すのは難しいが,各人の技巧が高すぎるのか何なのか,少々易々と弾かれすぎているような気もする.バルトークの音楽って,もう少し内圧の高いものだと思うのだが.

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「ブログ通信簿」やってみた

Tushinbo_img

 近頃話題の【ブログ通信簿 - goo ラボ】なるものを試してみました.結果が上の画像.
 「影の支配者」まさか(^^;).そりゃもちろん,僕じゃなくて「あのひと」でしょう.
 「もっと自分の意見を言ってみてもいいのでは」えーそうですか(^^;).じゃあ,今後はもう少し「図書館」ついて騙りますか.ちょっといま,時間と余裕が不足気味なので,本当にそうするかどうかは未定ですが.

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2008/07/22

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(エーデル:0002812CCC)

 1986年の録音.
 力のこもった,いい演奏である.こーゆう抑え目の音色が,ブラームスの雰囲気によく似合う.ブラームスやベートーヴェンの交響曲に関しては,こちらの聴き方が歳をとるごとに保守的(^^;)になっていくような気がしているが,このスウィトナーや,あるいはバルビローリ/ヴィーン・フィル(EMI)などの雰囲気は,いわゆる「枯れている」のとはちょっと違う,夕映えの栄光のような,何ともいえない充実の諦観が漂っているような気がする.

 そうか,今日あたり何も書いていないのにアクセス数が多いのはレポートか(^^;).ウチは業界の異端ですから読んでも役に立たないですよ.

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2008/07/21

ショスタコーヴィチ/交響詩「10月」

ショスタコーヴィチ/交響詩「10月」作品131@広上淳一/ノールショピング交響楽団(タワーレコード/BMG:TWCL2013)

 1993年9月の録音.
 この作品は,交響曲第14番や15番,晩年の絃楽四重奏曲の目晦ましに書かれたんじゃないかと思うような,まるで交響曲第5番や12番の素材の焼き直しみたいな音楽なんだけど,それでも最後思い切り盛り上げて聴き手を感動の渦に引き込んでしまう,ショスタコーヴィチの力技というか,手腕にはほとほと恐れ入る(^^;).誰が振っても,これくらい効果の上がる音楽も珍しいのではないかと.

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2008/07/19

シューベルト/八重奏曲

シューベルト/八重奏曲ヘ長調D803@ヴィーン室内アンサンブル(DG:437 318-2)

 1980年2月と3月の録音.
 直接にはフェルディナント・トロイヤーというクラリネット奏者の依頼を受け,ベートーヴェンの七重奏曲作品20に範を採り1824年に書かれたという,絃と木管のための合奏曲である.6楽章からなり,演奏に小1時間ほどを要する.晩年の「無暗に長いシューベルトの器楽曲」という作風がそろそろ出始めている作品で,規模の大きさから「交響曲の下書き」説さえあったらしい.まあ,交響曲とするには少々求心力を欠いた音楽で,むしろセレナーデ的な,肩のこらない親しみやすさがこの作品の取り柄である.

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「財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄」

asahi.com(朝日新聞社):財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄

 ちと遅きに失したが,この記事について.

 善かれ悪しかれ,公共図書館の現場にいる図書館員の中で『市民の図書館』やその解釈(日本図書館研究会読書調査研究グループ等による)が正典化し,その解釈が教条化/硬直化しているのがよくわかる記事である.そもそも『市民の図書館』は選書論(あるいは蔵書構成論とも)において,「住民の要求に基づく選書」(「要求論」という)というあり方を打ち出し,それまでの「本の価値を判断する選書」(「価値論」という)を超克し,住民を公共図書館に呼び寄せることによって公共図書館の(住民と当局に対する)存在価値の向上と,それに伴う予算増を目指した政策文書だった(参考までに昔僕が書いたもの),というのが現行の(公式の)歴史的評価になるか.

 しかし,この記事に描き出される現状を読む限り,「要求論」とは「価値論」の1変種にすぎない(利用者の要求に至高の価値を見出す),という意見に同意せざるを得ない.何故なら,特定の本に予約が集中するのも住民の要求だが,


「もったいなくて捨てられない」と寄贈の申し出
があったこともまた,住民の要求であるにもかかわらず,こちらは「要求論」として処理されていない.それどころか

「専門的な教育本などが多く、図書館向きでなかった」
コメントした当人は「要求論」的物言いだと思っているかもしれないが,これはどう考えても「価値論」の物言いであろう.そこには,本と住民に対する明らかな二重基準と,それに気がつかない図書館員(とこの記事を書いた記者)における意識の断層が見える.

 この意識の断層は,元をたどれば,恐らく「公共図書館は設置母体/設置場所/規模の大小を問わず,みんな同一の思想と機能を有しなければならない」という発想にたどりつくのだろう,と思う.ひと口に「公共図書館」と言っても,設置母体/設置場所/規模の大小に応じて異なる機能や方向性を持たせるのは政策として間違っていないと考えられるのに,公共図書館の側から見るに,横並びを是とする小役人の体質と,視野狭窄な専門職集団が『市民の図書館』を正典化して,すべてを同一視してしまったのが,この断層の原因のひとつだろう(参考:ケペル先生のブログ: 兵庫県と全国図書館大会).誤った「単独館主義」(すべての公共図書館機能を単独の図書館ごとに担う)と言ってもいい.このため,例えばデポジット・ライブラリー(保管図書館)の考え方が充分に行き渡らず,専門職集団の思想と行動が却って公共図書館の衰退に手を貸すことになってしまったのは,何とも皮肉なことである.


 転回点となるべき箇所は,僕が業界に関わるようになってからでも何度かあった.京都市立図書館の財団委託が問題視されたとき,浦安市立図書館の活動が脚光を浴びたとき,津野海太郎が「図書館雑誌」の巻頭論文を書いたとき,「○○支援」が公共図書館の機能として注目されたとき・・・・・・.それをことごとく外した挙句に,「これからの図書館像」すら押さえているとは思えない新聞記者によって,『市民の図書館』のプロパガンダ記事が書かれるのだから,公共図書館におけるこれからの展望は,住民にとっても公共図書館にとっても,あまり明るくは無さそうである.

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2008/07/18

ロドリーゴ/コンチェルト・セレナータ

ロドリーゴ/コンチェルト・セレナータ@竹松舞&飯森範親/日本フィル(デンオン:COCQ-83580)

 2001年8月8日-10日の録音.

 クーラーの無い我が家では,この暑いさなか,なかなか読書もエントリーの執筆も思ったように進まず,取り敢えずキレイで罪の無い音楽を聴きながら,とにもかくにも頭の中でいろいろと思案しているところ.

 一時,人気を博したアイドルハープ奏者,竹松舞による,ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)のハープと管絃楽のための協奏曲.19世紀への郷愁をセレナード風な音楽に託したという,かわいらしい協奏曲である.もともとロドリーゴの音楽には何処か哀愁と郷愁を誘うところがあるのだが,この作品もご他聞に漏れず,この録音を聴きながらハープを弾いている竹松のポートレートを眺めていると,何だかしみじみとしてしまう(^^;).浮世の憂さを忘れるひとときがあってもいいじゃないですか.

 皮肉られても蔑まれても,全力でスルーしますよ(^^;).

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2008/07/17

ヴァレーズ/アメリカ

ヴァレーズ/「アメリカ」@ケント・ナガノ/フランス国立管絃楽団(エラート:8573-85671-2)

 1992年ごろの録音.
 音楽史上の鬼才のひとり,エドガー・ヴァレーズ(1883-1965)は初期に書いていた作品をほぼすべて破棄してしまい,この「アメリカ」(1918-1922年)以降の,前衛的な作品のみを残した.その作品はどれもこれも,オーケストラからどのような「音響」を引き出せるかを実験しているような音楽ばかりである.この作品でも,ヴァレーズのオーケストレーションは多様な打楽器群のみならずサイレンまで動員して,オケからまばゆいばかりの,信じ難いほど多彩な響きを引き出している.

 ナガノの指揮は,さすがに分析的な解釈で鳴らすだけに,ヴァレーズの複雑とも聴こえる音楽の連続を,一種の必然のように聴かせてしまう.見事である.

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2008/07/16

昭和59年,夏

KK倒した取手二V腕石田さん急死、41歳 - 野球ニュース : nikkansports.com

 昨晩,一報を見たときは愕然としましたよ.こんなことがあっていいものか,と.


 1984(昭和59)年の取手二高は,県立高校にこれだけのメンバーが揃うのは奇跡,とまで県内では言われていたチームだった.監督はもちろん,多くの名選手を育てた名将・木内幸男.主将としてチームを引っ張った1番・遊撃手の吉田剛(のちバファローズ-タイガース),勝負強い打撃と好リードで貢献した中嶋彰一(住友金属鹿島),甲子園では投げると負けないと言われ「ミラクル」の異名を奉られた左のサイドスロー柏葉勝己(投げないときは外野を守る)などなど,監督も選手も型に囚われない豪快な野球が「のびのび野球」の異名をとる.

 しかし,夏の甲子園での初戦はいきなり,プロ注目の嶋田章弘(のちタイガース-バファローズ-ドラゴンズ),杉本正志(のちカープ-オリオンズ-ブレーブス)の二枚看板を擁する箕島高校(和歌山代表).石田が故障を抱えていたこともあり,案の定,7回まで0-3でリードされ敗色濃厚だったものを,8回表に嶋田・杉本から一挙5点を入れて試合をひっくり返す.嶋田が8番打者に打たれた当たりを「あれが三塁打になってしまうんだから勢いは怖い」と箕島の名監督・尾藤公をして言わしめる.よほどうれしかったのか,取手二高ナインはダッグアウト裏で万歳三唱をやって大会役員から大目玉を食ったという記事を読んだ記憶がある.

 二戦目は石田が福岡大大濠を5安打9三振に抑え,打線が終盤小刻みに点を入れ終わってみれば8-1.準々決勝の鹿児島商工戦は記憶に無いところを見ると,見ていなかったかもしれない.準決勝は取手二高に負けず劣らず個性的なチーム(確か初戦の勝利後,こちらも審判から厳重な注意を受けているはず)だった鎮西高校(熊本代表).独特の二段モーションの右サイドスローからきっぷのいいピッチングを見せたエース松崎秀昭(のちホークス)は,のちに投球フォームについて「ボークをとられるかもしれないとわかっていた」と言ってのけたほど度胸のよかった投手だったが,取手二高の強力打線には通じず18-6で大勝する.

 そして決勝のPL学園戦,あの桑田真澄(のちジャイアンツ),清原和博(のちライオンズ他)の「KKコンビ」を筆頭に中村順司監督が広岡達郎ばりの管理野球で締め上げた強力なチームである.延長10回に中嶋の決勝3ランで取手二高が劇的な勝利を収めた,雨の下での試合のことはあちらこちらで,沢山の方々が述べているので,僕までもがくどくどと書くこともあるまい.
 ただ,雨か選手の怪我かで,試合が中断したのはてっきり,この決勝だと覚えていたのだが,この試合について書いている誰もそのことに触れていないところを見ると,それは決勝とは別の試合だったのかもしれない.その中断のとき,PL学園の応援団は「ウルトラ警備隊のうた」をブラスバンドが延々と演奏していて,危うくこちらがPLに肩入れしそうになったのだった(^^;).

 この年は他にも金足農業の水沢博文,都城高校の田口竜二(のちホークス),松山商業の酒井光次郎(のちファイターズ)などの好投手を輩出した年であった.都城の1年生で遊撃を守っていたのが,のちにファイターズで2000本安打を達成する田中幸雄だったっけ.

 忘れてはいけない.境高校(鳥取)の安倍投手が9回までノーヒットノーランを達成しながら味方の援護に恵まれず,延長10回の裏2死から投じた初球をサヨナラホームランされたのも,昭和59年の夏だった.


 ・・・・・・あの頃が,ほとんど同年齢ということもあって,高校野球を実に熱心に見ていたので,石田の死は衝撃です.あまりのことに今日一日は仕事も上の空でした.残念です.悔しいです.早稲田大学を中退して遠回りした挙句にプロで大成しなかった上に,こんなに早く亡くなるなんて,悲しすぎます.

 謹んでご冥福をお祈りします.

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シュールホフ/絃楽四重奏曲第1番

シュールホフ/絃楽四重奏曲第1番作品8@イザイ四重奏団(フィリップス:434 038-2)

 1989年7月の録音.
 エルヴィン・シュールホフ(1894-1942)はナチの強制収容所で命を落とした作曲家.ジャズに影響を受け,リズムの饗宴を全面的に展開した作品を書いた.師の一人が,あのマックス・レーガーであることもあってか,ブラッハーやハルトマンのような暗い情念のリズムではなく,皮肉混じりながらも豪胆であっけらかんとしたリズムの音楽である.
 絃楽四重奏曲第1番は1924年の作品.急-急-急-緩の4楽章からなり,前3楽章が飛び跳ねているのに,終楽章がガラッと変わって,死に絶えるような陰陰滅滅とした音楽なのが風変わりである.

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