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2004.06.26

棚倉城(福島県棚倉町)

 棚倉城は現在の福島県棚倉町にある平城である.現在でこそ棚倉町は人口1万6千人ほどの静かな山間の田舎町なので,棚倉城を訪れるひとはその壮大な規模に驚くかもしれない.石垣は一部にしか使用されていないが(しかも二の丸の一部),本丸の大規模な土塁と巨大な内堀はどうしてどうして,街道筋に築かれたこの城の重要度を物語っている.

 棚倉城は寛永元(1624)年より丹羽長重により築城が始まった.元々この地域の主城は現在の棚倉城から北西に1.5キロほどのところにあった赤館だが,長重は赤館に代えて都々古和気神社の地を選んで築城する.都々古和気神社を現在の地(棚倉町馬場)に移し,跡地に輪郭式の近世城郭を縄張りした.
 丹羽長重(1571-1637)は織田信長の宿老で安土城普請の奉行を務めた丹羽長秀(1535-1585)の子である.天正13(1585)年父の死により越前北の庄(現在の福井市)城主になるが,家中騒動の責任を取らされて豊臣秀吉に減封され,さらに慶長5(1600)年の「関が原の戦い」の際には徳川家康の嫌忌を蒙って改易されてしまう.その後徳川秀忠が家康にとりなして慶長8年には常陸古渡(茨城県江戸崎町)で1万石に復活,大坂の陣での功績が認められて1万石を加増され,元和8(1622)年に5万石で棚倉に転封される.
 恐らくは父の代からの城普請技術者の集団を抱えていたと思われ,のちに転封される小峰城(白河市)では見事な石垣を築いているが,棚倉城では石垣構築にふさわしい石材を調達できなかったのか,二の丸の一部を除いて大規模な土塁を構築した.東側が大手で西側は台地の断崖を利用している.本丸は横矢掛を備えた複雑な平面をもち,5つの二重櫓を上げその間を多聞櫓で連結した.二の丸土塁の上には白壁を廻らし,西側では石垣も構築して水戸街道からの見栄えにも配慮している.

 丹羽長重は棚倉城の完成を待たずして寛永4年,白河に転封されあとには内藤信照が5万石で入城する.その後は内藤氏3代→宝永2(1705)年太田資晴→享保13(1728)年松平武元→延享3(1746)年小笠原長恭,以降小笠原氏3代→文化14(1817)年井上正甫,以下井上氏2代→天保7(1836)年松平康爵,以降松平氏4代→慶応2(1866)年阿部正静とめまぐるしく藩主が交替した.棚倉は交通の要所とされていた割には,竹島事件(天保7年,密貿易が発覚して大量の処分者を出す)と仙石騒動(但馬国出石藩主仙石家の跡目相続をめぐる騒動)の責任を負わされて老中解任・永蟄居とされた浜田藩主松平康任の後継ぎ康爵のように,罪を得た譜代大名の左遷地のような使われ方をされていた.中には井上正甫のように民話のネタにされてしまった藩主もいる.

 幕末の戊辰戦争では,棚倉藩は奥羽越列藩同盟に組して白河口に出兵し,小峰城を守備するが敗退する.阿部正静の父正外(神奈川奉行,老中も務めた)以下300余の藩兵が守備していた棚倉城は慶応4(1867)年6月24日落城し,城には火が放たれた.
 明治維新後,棚倉藩は6万石に減封の上,正静の義理の叔父である正功が継ぎ廃藩置県を迎える.現在,棚倉城址は公園化されて図書館,公民館がある.

棚倉城の写真へ
棚倉城下の写真へ(工事中)

参考文献
 『棚倉町史』(棚倉町)
 『日本城郭大系』第3巻(新人物往来社)

2003年6月7日作成
2004年6月26日移転・修正

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