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2004.06.26

新山城(福島県双葉町)

 新山城(しんざんじょう)は現在のJR常磐線双葉駅の南方1キロほどのところにあった山城である.沢地を挟んで東西に並び立つふたつの小山を利用し,東側に方形の曲輪を,西側には長さ170メートルに及ぶ土塁を築いて守りを固めている.現在,間の沢地だったところには道路とJR常磐線が走っている.
 伝承に拠れば元弘元(1331)年に,当時標葉郡(しめはぐん)を支配していた標葉一族の標葉左衛門尉隆連という人物(標葉氏8代持隆の三男)が築城したという.

 標葉氏は岩城氏などとともに,平国香の次男繁盛の末にあたる海道小太郎成衡を始祖とする一族だが,長年敵対していた相馬氏によって明応元(1492)年ごろ滅亡に追い込まれたため,資料がほとんど残っておらず,その詳しい歴史はよくわからない.標葉氏の本拠は請戸城(大平山城,双葉郡浪江町)だったが,相馬氏に対抗するため標葉清隆(持隆の孫)は嘉吉年間(1441-1444)ごろに本城(もとじょう)館,ついで文安年間(1444-1449)に権現堂城(いずれも浪江町)を築いてそちらに移ったとされる.

 戦国の世になり,北の相馬氏,南の岩城氏が勢力を増すにつれて標葉氏や南隣の楢葉氏は次第に圧迫されるようになる.ついには楢葉氏が文明6(1474)年岩城氏の攻撃を受けて滅亡し,智仁勇を兼備していたと伝えられる清隆が老境に入って昔日の面影を失った標葉氏も前述のように明応元年ごろ相馬盛胤の攻撃を受け,標葉方には内応者も出る始末.あげくに清隆・隆成父子は自刃して標葉氏は滅亡した.

 新山城は隆連・隆重・隆豊の3代に渡って標葉支族の居城となったようだが,隆重は清隆と仲違いしたらしく,清隆に新山城を攻められて岩城氏を頼ったらしい.隆豊は標葉氏滅亡の際相馬に降り,藤橋村というところを与えられて藤橋出羽守胤平と称したという.その子孫が江戸時代に著した『東奥標葉記』は,標葉氏の事暦を現在に伝える.
相馬領となった新山城には城代が置かれたが,慶長11(1611)年ごろ廃城になった.


新山城の写真(工事中)

参考文献
 『双葉町史』第1巻,第3巻 双葉町史編さん委員会編,双葉町

2003年6月14日作成
2004年6月26日移転・修正

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